官能小説で知られる芥川賞作家、宇能鴻一郎氏が亡くなった。90歳だった。

 

 宇能氏は、「あたし、いけない女なんです」「課長さんたら、ひどいんです」など、独特の告白体と擬音語を多用したポルノ小説で一世を風靡。スポーツ紙や夕刊紙に、宇能氏の連載小説は欠かせず、その原稿料は日本一高かったという。

 

 文壇での交際を好まず、メディアに出る機会はほとんどなかった伝説の作家が、3年前の87歳当時、文藝春秋のインタビューに答えていた。

自宅の洋館で文藝春秋の取材に受けた宇能鴻一郎氏 ©文藝春秋

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ポルノはヤマ場を入れやすい

 ポルノ小説の読者は、圧倒的に中年の男性です。数年前、飛行機の中で知り合った人に、「若い頃、お世話になりました」と頭を下げられたことがありました(笑)。

 ポルノ小説を書き始めた当初は、「〇〇でございます」でした。ところが書いているうちに、だんだんくたびれてきて……。純文学出身ということもあって僕の文章は硬質で、どうしても難しくなってしまう。そこで読みやすくしようと心掛けているうちに「あたし、〇〇なんです」に辿り着いた。自然とあの文体になったわけです。

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 最初は週刊誌だったかな。女性の1人語りで書き始めると、あちこちから注文が殺到しました。特にスポーツ紙や夕刊紙の読者と相性が良かったんでしょうね。連載は何本やっていたかわかりませんが、月に1000枚以上書いたのは覚えております。30代から40代の頃です。

 産みの苦しみを感じたことは全くなかった。自分で面白がって、次から次へと楽しく書いていました。新聞の連載は分量が短いですが、ポルノはヤマ場を入れやすい。登場する女性を、作品ごとに書き分ける苦労もありませんでしたね。

 親しい編集長からは、「書く舞台を選ばなきゃいかん」と怒られました。『オール讀物』や『小説新潮』といった中間小説雑誌はいいけれども、そのほかの読み物雑誌に書くのは止めろと言われた。しかし僕は、自分の書く雑誌や新聞が一流なんだと思って、構わずに書きました。

「ポルノ界のモーツァルトになりたい」と言って笑われたこともありました。モーツァルトは多作でしたが、注文された仕事を次々こなして素晴らしい作品を残しているでしょう。ポルノ小説は最も詩に近い純粋なものと考えていたし、早く書き上げる能力はモーツァルトと言われてもいいと思いますがね(笑)。

 ただし、遊び回る暇はなかった。執筆時間は特に決まっておらず、朝起きたらテープレコーダーに吹き込んで、秘書に原稿に書き起こしてもらいました。喋るように書いていたわけです。原稿料が高いといわれましたが、自分から交渉したことは一度もない。僕はどんどん改行して書くから余白も多く、一文字あたりで考えると破格だったでしょうね。