子供の頃からリストカットと薬の過剰摂取、自殺未遂を繰り返してきたという麻衣さん(仮名・21)。15歳で売春を始め、新宿の立ちんぼとして生きざるを得なかった彼女の背景には一体何があったのか。アームレスリング世界王者で5児のシングルマザーの山田よう子さんと歌舞伎町で出会い、真っ当に生きようともがく麻衣さんの体験談を通して考える、学校にも家にも居場所がない子供たちに“一番必要なこと”。(全2回の前編/続きを読む)

©深野未季/文藝春秋

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「大人という存在は全員、敵」

——初めてリストカットしたのはいつですか。

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麻衣 小学生の頃から、手の甲にペンを刺していたんです。刺して、引っ掻いて、それでも物足りなくて、カッターで切り始めました。でも、手の甲だと目立つから、腕に移行して。

——どうして手の甲にペンを刺したんですか。

麻衣 授業中の眠気覚まし。夜、眠れないから。

——不眠の原因は?

麻衣 学校に馴染めなかった。小学1年の頃から男子に陰口を言われていました。3、4年になると、担任の先生もいじめに加担するようになったんです。「いじめられるのは、お前が悪いからだ」と言われて、クラスメート全員の前で怒鳴られたり、廊下に正座させられたりしました。

——誰か相談できる人は?

麻衣 いませんでした。むしろ大人という存在は全員、敵。学校が毎日のように「今日も麻衣さんはこういう失敗をしました」という電話を親にかけてくるんです。親からの虐待も酷くて、殴られる、蹴られる、暴言吐かれるのが当たり前でした。

©深野未季/文藝春秋

——ご両親は腕の傷に気づきましたか。

麻衣 最初、母親はヒステリー起こしてましたね。「病院! 病院!」って叫んでたけど、「お前が原因だろう!」って抵抗したら、殴られました。本末転倒な話。

——父親は?

麻衣 腕の傷どころか、父親には骨を折られました。かかと落としをされて、右手の骨が割れたんです。11歳くらい。当時ピアノを習っていて、発表会の直前だったので、保険証を持って病院に駆け込みました。病院には正直に「父親に蹴られた」と言ったけど、「児童相談所(以下、児相)には絶対に言わないで」って念押しもしました。変な施設に連れて行かれるのが嫌だったんです。