かつて恋愛ドラマの多くでは、結婚があたかも人生のひとつのゴールであるかのように描かれていた。でも実際には? いま、離婚件数が婚姻件数の約3分の1であることから「3組に1組が離婚する」ともいわれる時代。一方で、マッチングアプリが急速に浸透し、いまや結婚するカップルの4組に1組は「マッチングアプリ婚」という統計結果もある。
結婚とは、赤の他人であったふたりが、自分たちが唯一無二の関係であると思ったり、それが大いなる勘違いであったと気付いたりしながら、格闘する過程でもある。人はひとりで生きることもできる。結婚が当たり前という時代でもなくなった。それなのになぜ、人は人と一緒にいることを選ぶのか? 夫婦、家族にかぎらず、人生にパートナーシップは必要なのか?
その問いとともに、内田也哉子さんが、一筋縄ではいかない結婚生活を送った母と父の恋文を世に発表した、詩人の谷川俊太郎さんを訪ねた。『週刊文春WOMAN2024秋号』より一部を編集の上、紹介します。
どこか私の胸をひりひりさせる夫婦がいる。この夏、私は復刻された谷川俊太郎さんの『母の恋文』(岩波現代文庫)の解説を書くという幸運に恵まれた。谷川さんが編んだ、ご両親の恋人時代の往復書簡集だ。
大正10年、後に谷川さんの父となる谷川徹三は京都帝大の学生だった。愛知県の知多半島で煙草の元売りと雑貨の卸小売をする家の三男に生まれ、上京して一高を卒業するが東京帝大には進まず、京都帝大で20世紀を代表する哲学者の西田幾多郎に師事していた。
母となる長田多喜子は同志社女子大の前身である同志社女学校専門学部の英文科を出て、さらに音楽家を目指して勉強中だった。多喜子の父は京都府選出の代議士で奈良電鉄など多くの会社を経営する地元の名士であり、京都の上流社会で多喜子は姉花子とともに交友関係の華やかな快活な令嬢として知られていた。
ふたりはこの年の秋に京都で開かれたバイオリンのコンサートで出逢い、恋に落ちたようだ。このとき徹三26歳、多喜子24歳。徹三は早速、多喜子を駅まで送っている。そして頻繁な手紙のやり取りが始まった。
大型台風がどうやら東京を逸れた日、私は谷川さんをご自宅に訪ねた。