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この家族会議は何かが破綻している

内田 私の父もいっぱい恋人がいた人でしたが、父の場合、自分の恋人に関する相談を私の母にしていたんですよ。私が大人になってからですが、母は母で私に「こんなことをお父さんが聞いてきたんだけど、どう答えればいいかしらね」なんて言ってくる。この家族会議は何かが破綻していると思いました。

谷川 いいね(笑)。そういう家族関係というのはよくわかるような気がするね。

内田 え、そうですか。

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谷川 人間関係が希薄とまでは言わないけれど、そのぐらいの関係で生きるのは嫌じゃない。いいじゃん、そのぐらいでうまくいってるじゃん、と思うんですよ(笑)。

撮影・内田也哉子

悲劇を喜劇に変えていく。

内田 うちは何でもあけすけで。父に愛人がいることに母も本当は嫉妬とか悲しみがあっただろうけど、家庭内だけでなくメディアを通しても何でも晒してしまって、悲劇を喜劇に変えていく。だから私は父のことを客観視できたところがあるかもしれません。私も両親の手紙を読んでみたら面白いという気持ちになると思われますか。

谷川 そう思いますよ。ただ面白いという単純な言い方だけでは済まないのは確かですけどね。

 谷川さんは『母の恋文』に1通だけ、ふたりが結婚した後の手紙を収めた。昭和29年、57歳の多喜子が徹三に宛てたものだ。それは出逢って間もない頃と同じように、こう始まる。

 

〈昭和二十九年十月十九日

 

 今日は何故か、あなたの事許り想へてしなければならない用事が一向手につきません。〉

谷川 僕の母はちょっと変わっていて、SEXのこととか、わりとあけすけに書いていた人なんですよ。

●哲学者として名を馳せた徹三さんが多喜子に送った「ベエゼ(キス)がしたい」というストレートなかわいさのある恋文、その後徹三に別の恋人がいながらも多喜子が先立ったあと思慕していた様子、言葉の魔術師である谷川さんが「言葉を信じない」と語る理由など、記事の全文は『週刊文春WOMAN2024秋号』でお読みいただけます。

谷川俊太郎 たにかわしゅんたろう/1931年東京生まれ、杉並区育ち。

詩人、ひとりっ子、夫を3回、子ども2人、孫4人、ひ孫1人。車とカメラと音楽と庭を眺めるのが好き。日本レコード大賞作詩賞、野間児童文芸賞、丸山豊記念現代詩賞、萩原朔太郎賞、鮎川信夫賞、三好達治賞ほか多くの受賞歴。デビュー作『二十億光年の孤独』(1952年)は今も国内外で人気が高い。

うちだややこ/1976年東京生まれ、港区・ニューヨーク・ジュネーブ・パリ育ち。文章家、戦没画学生慰霊美術館 無言館共同館主、ひとりっ子、妻、子ども3人。音とアート、旅すること、人と出会うことが好き。最新刊は『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』(週刊文春WOMANの連載を収録)。日曜朝のEテレ『no art, no life』で語りを担当。

題字&イラスト&写真・内田也哉子 対談構成・小峰敦子