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『ねじまき鳥クロニクル』では、パートナーが失踪するという事件が起きることで謎解きが始まるわけですが、これは素晴らしいことだと思うんです。身近な人との関係がうまくいかなくなることで、「私とは何か」「あなたとは何か」という実存的な問いについて考えざるを得なくなる。これは暗闇にぬかるんでいくようなものです。でも、そうやって、死んでいた心が、つまりゾンビの心が生き返っていくわけですよね。

 一方で、多くのカップルは、事件にも直面せず、自分がシャットアウトしているものを放置したまま生きていく。そうするうちに、愛が死んでいく。

三宅 怖い。まさに東畑さんのご著作『心はどこへ消えた?』的な話ですね。「愛はどこへ消えた?」という。

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三宅香帆さん

パートナーシップが「ゾンビ化」していく

東畑 恋愛が始まったばかりの頃って、2人の間に死んだ部分があったら「死んでるよね」みたいな話ができたわけですよ。むしろ、そうやって2人の関係性について話をするのが一番楽しい。でも、そういう話をするのがだんだん難しくなってしまって、2人の関係にゾンビのような部分が出てきてしまうんです。

三宅 長い間ともに過ごす相手とのパートナーシップをゾンビ化させないためにはどうすればいいのでしょう? 共同生活を送っていると、すべてに白黒つけないほうが関係性はうまくいくように思えることもあります。例えば何かにコンプレックスを持っているパートナーがいたとして、こじれて表面化する前に対話ができていればよかったのかというと、コンプレックスを指摘するのも優しくない気がします。

東畑 うーん、ゾンビ化は悪いことではないからねえ。ただ、ゾンビ化の辛さはあると思うんですよ。寂しさや痛みを放置するということだから。

 一緒にいるのに1人だと感じてしまう、この寂しさを埋めるために、仕事に打ち込むかもしれないし、不倫するかもしれないし、酒を飲むかもしれない。なんにせよ、痛みは痛みですね。でも、これを臨床の場で指摘するとクライエントは苦しくなりますね。

三宅 「ここがあなたは痛いんでしょう」と指摘されるのが嫌ということですね。

東畑 「なんでそんな面倒臭い話するんですか」って。面倒臭い、疲れる……これは麻痺の語彙ですね。

三宅 ああ、面白い。疲れって麻痺なんですね。