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東畑 痛いとか寂しいは感情だけど、疲れるや面倒臭いは麻痺なんだよね。僕はそうやって心を麻痺させず、誰かと揉めていくことの中に素晴らしさがあるという考えです。

三宅 他者と揉める行為はコントロールできないものと向き合う最たるものですね。

対話や言語化ですべてうまくいく?

東畑 先ほど、夫婦を描く物語が少ないとおっしゃっていましたが、夫婦やパートナーは善悪がつけ難いから描くのが難しいんだと思います。多くのパートナーシップというのは歪んでいます。2人の傷と傷がくっついているから歪んでいて、でもそれが2人の心を癒しているということもある。外からはわからないものがある。

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東畑開人さん

三宅 親子の場合は「親子愛」という絶対的な正しさがあって、そこに対するアンチテーゼや踏襲がありますが、現代の夫婦ってそうした神話がないんですよね。

 夫婦を描いたドラマだと、近年は『逃げるは恥だが役に立つ』、『1122 いいふうふ』などがあります。ともに2人が対話することで関係を再構築していく作品ですが、私は「対話や言語化ですべてうまくいくんだろうか」とも思っています。それは対話だとゾンビの部分に向き合えないからかもしれません。対話って、正しさの話になってしまうので。

 

東畑 新刊でも書きましたが、最近カップルセラピーをよくするんです。カップルセラピーは「これはもう2人で話し合えないから、3人目としていてくれ」というのが出発地点です。それでいざセラピーをはじめるのですが、大抵対話が成立しないんですよ。うまく話が噛み合わない。

 論点を整理しながら見ていくと、ある話題、例えばお金の話題になった瞬間に、明らかに妻がおかしくなっていく。あるいは子どもの話になった途端に夫がおかしくなっていくということが起こる。そこがその人にとっての心の痛い場所なんですね。痛いからこれ以上の説明ができない。でも、感情だけはある。

三宅 どうするのでしょう?

東畑 そこに自分の傷があるんだという認識ができるのが大事です。そうすると、ここは相手の問題ではなく、自分の問題なのだと思える。コミュニケーションの秘訣は、うまく通じ合えないときに、そこに自分の問題「も」あったのだとお互いに理解していることだと思います。