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健さんが本名でいられた“場所”

 いつも撮影がクランクアップした年の年賀状には、「一杯を愉しみに」と直筆が入っていた。

 私はメールに、「ではでは、桜を愛でながら」と送ると、翌日の朝8時には具体的な日取りの相談が来ていた。

 こよなく酒を愛した監督のために魚の旨い渋谷の「のんべい横丁」の一軒へ。

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 その時に伺った降旗流読書法は、

「毎朝4時頃には起きて、静寂な中での読書時間。これが僕の健康法かな」

 ほっほっほー、とご機嫌に笑う。

 以来、私もこの読書法を習慣にしている。

 さて、健さんのベビーカーに乗った娘はすくすくと成長した。

 ある年、大粒のマスカットが届いた。

 谷 充代 様
 いつもお心遣いを戴き有難う。
 いよいよ夏が近づいてきました。
 本日岡山の季節の香りをお送りしました。
 ご賞味下さい。

 平成8年5月27日
 高倉 健

 追伸 東京のヒバリーヒルズの住みごこちはいかがですか。

 私が東京都下の「ひばりが丘」に転居したことを知った健さんの「追伸」に一人笑ってしまった。

 お礼の手紙を書いたのが、5歳になった娘だった。

「おじちゃん、ありがとう」、拙ない文字で綴った。

 後日、カフェで待ち合わせていた私に会うや、健さんは、

「誰かと思ったよ! 子供から手紙なんか、貰ったことないもんなあ!」

 照れくさそうな笑顔を見せて腰を下ろした。

 筆まめな健さんの手紙は律儀でユーモアもあり……。

 健さんが本名の「小田剛一」でいられた場所が手紙だったのだろう。