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ダンプ松本が「ヒール」を志願した理由

「あの頃は、まだ選手から会社にそういう意見を言えたのね。もちろん、すべてを受け入れてもらえるわけじゃないけど。千種もヒールを志願して、ダメだって言われたみたいだけどね。

 私も会社から『お前はベビーのままでやれ』って最初は言われた。『ジャンボ宮本みたいな感じでいいんだからって』。ただ、当時の私はジャンボ宮本さんのことを知らなかったし、それは納得できなかった。

 だから断った。あと、ヒールになりたかった理由がもう一つあって。当時、来日する外国人選手はみんなヒール扱いだったのね。あんなでっかくて怖い外国人選手と闘うのは嫌だなぁ~って思っていたから、そうか、ヒールになれば組むだけで闘うことがなくなるぞって(笑)。そんなズルい理由もあった」

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1985年に発売されたダンプ松本のアルバム『極悪』(写真:ダンプ松本さんInstagramより)

 かくしてダンプはヒールの道を歩むことになる。

「どうしてもエクボが出ちゃう」悪役メイクの秘密

 当時全女のヒールは、池下ユミ、マミ熊野らが率いる「ブラック軍団」の全盛期。そう、ダンプ松本が全女ヒール列伝の始祖、というわけではない。ビューティとブラック軍団の抗争、ジャガー横田とデビル雅美の激闘という時代を経て、ダンプ松本の極悪同盟が存在する。

 ただ、新人だったダンプはヒールのトップである池下ユミから、直接、指導を受けた記憶はほとんどないという。

「基本は一つ上の先輩が指導するのが決まりだったから、私の一つ上の川上法子(実際は同期だがダンプがプロテストに何度も落ちたため川上は先輩)にいろいろ教わった。とにかく先輩方に厳しく言われたのは『ヒールは絶対に笑うな!』。ただね、私、どうしてもエクボがでちゃうのよ。自分では厳しくて、怖い表情をしているつもりなんだけど、エクボが出ると笑っているように見えちゃう。それで先輩に『なに笑ってるんだ!』と毎日のように叱られた。のちのち悪役メイクをするようになった時、頬を黒く塗るようにしたのはハッキリ言っちゃえばエクボを見えなくするためだけの話ですよ」

 池下ユミ引退後、ヒールのトップはデビル雅美に委譲された。デビル率いる「ブラック・デビル」にはマスクウーマンのタランチェラ、山崎五紀、マスクド・ユウ(のちのクレーン・ユウ)らがいたが、まだ本名の松本香でファイトしていたダンプは正直、パッとしないヒールだった。ところが状況は急変する。

 デビルのパートナーだったタランチェラの引退後、デビルは弟子のような存在だった山崎五紀と一緒にベビーフェイスへの転身を表明。事実上、デビル軍団は消滅。残されたダンプは同期のクレーン・ユウと「極悪同盟」を結成する(1984年)。

 これが運命の転機となった。