「バスケやらない?」人生が変わった瞬間は…
町田 小2の時に父から「校内マラソンで1位になったら野球道具一式をご褒美に買ってやる」と言われて。この時も家の周りを走ったり、こっそり練習していました。その甲斐あってか1位になることができて。そのとき、友達からバスケを誘われました。それが後に小中高とチームメートになる高田汐織で、彼女のお兄さんがバスケクラブに入っていて、「足の速い子を勧誘してこい」と言われたらしくて。好奇心で参加してみたら、バスケが面白かった。
それで父に「バスケをやりたい」というと、「待ってました!」と言わんばかりに、その日のうちにスポーツショップに連れていかれたんです。父は学生時代にバスケをしていたし、家ではNBAのビデオをよく見ていたので、私が同じ競技に興味を持ったことが嬉しかったのかもしれません。
でも私は、父の嬉々とする顔を見つつ「もう逃げられないかも」と覚悟しました。
コーチの父から練習後に説教されて…
――バスケは楽しかったですか。
町田 むちゃくちゃ楽しかったです。父の影響でNBAも知って。父はマイケル・ジョーダンが好きだったけど、私はジェイソン・キッドのパスやドリブルに釘付けになって……。ひたすら彼のプレーを真似ていましたね。父の教えもあり、小学生の頃にはノールックパスやレッグスルー、ビハインド・ザ・バック(背後でするドリブル)なども出来ていたような気がします。
――9~12歳は子供の運動神経が著しく発達する“ゴールデンエイジ”と呼ばれています。この時期に技を磨く大切さを、町田さんも実践していたんですね。
町田 たまたまですけどね。中学時代も父がよく練習を見に来て、教えてくれたりしてたんです。練習中にミスしたり、やる気がなかったりすると、帰る途中で車をとめて反省会することもありました。それが嫌で嫌で(笑)。でもバスケ自体はとても楽しかった。北海道代表で全国大会に出場したんですが、優勝には届かなかった。だから、高校では全国制覇したいと思ったんです。