「理不尽なイジメはなかったですよ、本当に。でも、仕事に関してミスをしたら体罰はありました。プロレスの試合でのミスって、ヘタしたら命に関わる事故になるから、厳しく怒られるのは当たり前だし、口で注意されただけではわからないでしょ?」
極悪同盟の掟として「イジメはしない」にもかかわらず、ときには厳しい鉄拳制裁も必要だった理由とは…? 新刊『全日本女子プロレス「極悪ヒール女王」列伝』(双葉社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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理不尽なイジメはなかったけれど…
「理不尽なイジメはなかったですよ、本当に。でも、仕事に関してミスをしたら体罰はありました。プロレスの試合でのミスって、ヘタしたら命に関わる事故になるから、厳しく怒られるのは当たり前だし、口で注意されただけではわからないでしょ? 私としては体罰があってよかったと思いますよ。怖かったし、常に追い詰められていたけど、だからこそ要領の悪い私でも成長することができた。
ダンプさんも決して器用ではないし、本当に苦労してトップになった方じゃないですか? だから、厳しく教えられても説得力があるんですよね。『こんな私でもここまで来れたんだから、お前たちだって大丈夫だから!』って。あの世界観をつくり出したダンプさんは本当にすごいと思うし、もう感謝しかないです」
こうしてダンプのパートナーに抜擢されたことで、ブル中野はヒールとして着実に成長していった。そして「個性」も自分でプロデュースしていくようになる。
「いまはコスチュームとかも自分でつくるけど、当時は普通に売っているものを買ってくるしかなかった。ヒールになってすぐ、ダンプさんに言われたのが『スタン・ハンセンが履いているやつを買ってきて、それを着ろ!』。わかります? ハンセンが入場するとき、下に履いていたやつ(チャップス)ですよ。ただ、当時はそんなもの、どこにも売っていなくて。いや、いまでもどこで売っているのかわからないですけど(笑)、結局、それはナシになりました。ダンプさんのなかでは私って、あのイメージだったんでしょうね。
凶器にしても普通のチェーンは先輩方が使っているので『お前は自転車のチェーンでいい』と言われて。たしかに細いんだけど、実際に持ってみたら、こっちのほうが危ないんですよ。ブンブン振り回すと、殺傷能力がハンパない(笑)。
そこで私が選んだのがヌンチャクでした。いままでの凶器って、誰でも使えるものだった。竹刀とかドラム缶とか、そのまま振り回したり、投げつければ、それで成立したけど、ヌンチャクはちゃんと練習しないと使いこなせない。誰でも簡単に使える凶器ではないものを使いたかった」
ブルのヒールとして独自のスタイルは、こうして徐々に形成されていった。
「私がダンプさんとは違ったスタイルのヒールになることは、ダンプさんも望んでいたんじゃないのかな? ダンプさんと同じようなキャラクターの選手が横に並んでいたら、きっとダンプさんもやりにくかったと思うし」
クラッシュ・ギャルズと極悪同盟の抗争は一大ブームを巻き起こし、ついにはニューヨークのプロレスの殿堂、マジソン・スクエア・ガーデンにもそのままの闘いが輸出された。