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「こんな感じで適当になだめておけば、そのうち癇癪もおさまるでしょ。どうせお母さんは認知症なんだから、ムキになって道理を説いたって、こっちが疲れるだけだわ」

 ああ、私は、自分のズルさを突きつけられたようで恥ずかしくなります。

 結局私は、自分が楽をしようとしているだけなんですよね。認知症の本に書いてある「認知症の人を決して怒ってはいけません。本人が何を言っても否定せず傾聴しましょう」というマニュアル通りに「やさしい娘」を演じているだけなんです。母のためではなく、自分のために。マニュアルに従って、思考停止して、よけいなエネルギーを使わなければ、自分がこれ以上傷つかなくてすむから。

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 でもそれは、キツイ言い方をすれば、どうせ認知症なんだからと、大好きだったはずの母を諦め、見捨てたことになるんじゃないでしょうか。

 確かに父が怒鳴り返したことは、「認知症対応マニュアル」に照らせばとんでもないことです。でも父は、そんなマニュアルなんてクソくらえ、なんです。認知症なんて関係なく、ただシンプルに「おまえの一番いいところをなくしたらだめじゃないか!」と母に伝えたいだけなのですから。

ひどいことを言われたのに…意外な母の反応は

 そして母にも、そんな父の思いはきちんと伝わっていました。「死にたいなら死ね」なんてひどいことを言われたにもかかわらず、「それなら死んでやる」みたいに売り言葉に買い言葉にはならず、思わず母の口から出たのは、

「そうに怒らんでもええじゃないの……」

 それまで威勢の良かった母は、叱られた子供みたいに一気にシュンとしちゃいました。その後、父の見ていないところで「私が悪かったね……」と反省の涙。そして驚くことに、しばらくしたら父にニコニコと近づいて行って、

「お父さん、背中痒いことない? 掻いてあげようか?」

©映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』

 ご機嫌取りなのか何なのかよくわからない、謎のアピール。父も「おう、そんなら掻いてもらおうか」と背中をはだけて、まるで蚤取りをするお猿さん夫婦みたいな、ほほえましくかわいらしい名シーンが誕生したのです。

 私は思いました。愛はマニュアルをやすやすと超えていくんだなあと。本当にその人を思う気持ちがあれば、怒鳴ってもひどいことを言っても、絶対に誤解されることはないんだなあと。

 大バトルを経て、ますます深まった父と母の絆。そして、大切な気づきをくれた父のことを、ますますカッコイイと思ってしまう私なのでした。