映画監督の信友直子さんは、認知症になった母・文子さんと、母を献身的に介護する高齢の父・良則さんの暮らしをカメラに収めた。そうして制作したドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』は異例の大ヒットを記録。夫婦は突如として有名人になった。

 ここでは、11月に104歳になる良則さんの日々の様子を、直子さんが娘の視点から綴った『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』から一部を抜粋して紹介。脳梗塞を発症して入院することになってしまった文子さんのために、良則さんが始めた“あること”とは……。(全3回の3回目/はじめから読む)

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「おっ母。頑張って家に帰ろうや」

 2018年9月、母が脳梗塞を発症しました。

 認知症以外の持病があったわけでも、血圧が高いわけでもなかったので、まさに不意打ちでした。慌てて帰省し救急病院に駆けつけると、たくさんの管につながれた母は、白い小さな人形のようにぐったりと横たわっています。

 胸が痛みました。「前兆はあったかもしれないのに、どうして気がついてあげられなかったんだろう?」

 ぐずぐず悔いてばかりの私に比べ、父は最初から驚くほど前向きでした。

「おっ母は片麻痺だけらしい。まだ体の右半分は普通に動くけん、リハビリしたら家に帰って来られるわい。のう、おっ母。頑張って家に帰ろうや」

©映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』

 母は左半身が麻痺していましたが、右手右足は問題なく動きました。言語中枢も損傷していなかったので、母もはっきりと自分の意思を口にしました。

「私、早う家に帰って、お父さんとまた一緒に暮らしたい」

 そして、父の言葉に触発されたのか、俄然リハビリを頑張り始めたのです。

 麻痺した左半身を理学療法士さんに抱えてもらいながら、右手右足でふんばって、必死の歩行訓練。最初は一歩進むのもやっとでしたが、二歩、三歩と、歩行距離はしだいに伸びてゆきました。

父が毎日面会に行く理由

 そんな母を励ますため、父は毎日、面会に行きました。家から病院までは、父の足だと片道1時間はかかります。往復だと2時間。シルバーカーを押しながら、日照りの日も雨の日も、父は歩き通しました。

「お父さん、今日も行くんね? 少しお休みしたら?」

 父の体調が心配になって、私が声をかけたこともしばしば。

「今まで何年もお母さんの世話をしてきたんじゃけん、疲れも溜まっとるでしょう。お母さんの世話は、もう病院の看護師さんがしてくれてじゃけん、お父さんは家でのんびりしたら?」

 しかし、父は頑なでした。

「おっ母が毎日リハビリを頑張りよるのに、わしだけ楽するわけにはいかんわい」

 そう言って一日も休むことなく、母のもとへと通うのでした。