大山のぶ代さんが9月29日、老衰のため90歳で亡くなったことがわかった。

 

おしどり夫婦として知られた、大山さんと砂川啓介さん。砂川さんはいつ、妻の認知症の症状に気付き、受け入れていったのか。

 

長年のマネジャーである小林明子氏が語った記事「大山のぶ代は夫 砂川啓介の棺に涙ぐんだ」(2017年9月号、「文藝春秋 電子版」掲載)を、一部紹介します。

夫・砂川さんが亡くなったとき

 砂川(さがわ)さんが亡くなったことを大山にどう説明するか、最後のお別れをしてもらう前の日から悩みました。「亡くなった」という言葉は使いたくなかったし、どうしたら理解してもらえるか。小さな子どもに話すようにしなければ、いまの大山には伝わらないのです。そこで、こう話しました。

「砂川さんが病気で、何度も病院へ会いに行ったよね? いま眠っているんだけど、これからも眠り続けてもう起きないのね。だから会いに行こうね」

 大山は「うん」と答えました。その「うん」が、いつもお見舞いに行くときの「うん」と同じだったかどうか、大山の顔を見ることができなかったので、私にはわかりません。

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 お線香をあげてから棺の前へ連れて行き、砂川さんのお顔を見てもらったら、大山は、

「お父さん」

 と、涙ぐみながら言いました。でも次の瞬間には、出口へスタスタ歩き始めていました。

「えっ? ちょっと待って。もう帰るの?」

「帰る」

90歳で亡くなった大山のぶ代さん ©文藝春秋

 ふわっと砂川さんのお顔を見て、すうっと出て行ってしまったんです。帰りのタクシーでは、もういつも通り。「ここは昔、何とかの建物だったんですよね」と運転手さんが言えば、「ああ、そうそう」と軽く答えていました。数分前の出来事は忘れてしまいますから、そのときにはもう忘れていたと思います。

 だから、砂川さんの死を理解したのかどうか、本当のところはわかりません。理解したからスッと行ってしまったのか。棺の前で涙を流した。それだけは確かです。

《俳優の砂川啓介さんが7月11日、尿管がんのために亡くなった。80歳だった。妻で女優の大山のぶ代さん(83)は、2012年秋にアルツハイマー型認知症の診断を受け、昨年春から老人ホームで暮らしている。

 小林明子さんは、砂川・大山夫妻を担当してきたマネジャー。その付き合いは30年に及び、子どものいない夫妻にとって家族も同然の存在だ。

 大山さんは、2001年に直腸がんを手術した。このときの検査で、糖尿病が判明。74歳だった2008年には、脳梗塞で倒れている。その後遺症が認知症にスライドしたのではないか、と砂川さんは考えていた。》

認知症と診断されるまで

 2008年4月、専門学校で声優部の講師をしていた大山から、「なんかちょっと、具合が悪い」と電話がありました。私は事務所からタクシーで学校に駆けつけ、そのまま大山を乗せて慶應義塾大学病院へ向かいました。

 どこが悪いのかわからずに心電図やCTを撮ったのですが、神経内科の先生に「ちょっと呂律が回ってないみたいですね」と言われ、検査の結果、脳梗塞だと診断されました。「今夜もう1度、血栓が飛ぶかもしれません」とも告げられました。

 翌日、病室へ行くと、様子がガラッと変わっていました。血栓が詰まったのは前頭葉で、身体の麻痺は残らないけれども、記憶が混乱するということでした。会話も、うまくできなくなっていました。

 ひと月後、リハビリが始まりました。最初は簡単な足し算でしたが、たとえば「2+4」という問題に、大山が出す答えは「8」。全部掛け算になってしまって、なぜか足し算がまったくできないのです。