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ヤンキース復権の陰に松井秀喜氏の“育成”手腕あり

指導したマイナー選手が相次いで打撃開眼

2018/05/18
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次世代の「コア・フォー」育成が仕事

名実ともにヤンキースの「顔」だったジーター ©文藝春秋

 2002年12月、レッドソックスの球団社長だったラリー・ルキーノ氏は、ヤンキースを「悪の帝国」と批判した。当時のヤンキースはキューバ人のホセ・コントレラス投手と大型契約を結び、巨人からFAとなった松井の獲得も目前だった。前年にはジェーソン・ジアンビとサインしており、翌年以降もアレックス・ロドリゲス、ゲーリー・シェフィールドら大物選手を次々と獲得した。

 ただ、強豪の土台となっていたのは「コア・フォー」と呼ばれたデレク・ジーターら生え抜きの4選手だった。ジーターは2014年限りで引退。核を失ったチームにコア・フォーに代わる中心メンバーを作ることが球団としての急務で、その任を担ったのが2015年に育成部長となったゲーリー・デンボ氏だった。日本ハムで打撃コーチを務めたこともあるデンボ氏は、ヤンキース傘下のマイナーのコーチとしてジーターやホルヘ・ポサダを指導。技術だけにとどまらない育成手腕が評価されていた。

 松井氏は引退直後の2013年にフロント入りを打診されたが、「自分がヤンキースという組織の力になれる唯一の仕事は打撃指導」と現場での仕事を希望し、練習の補助役としてマイナーを回っていた。2015年、育成部長となったデンボ氏の推薦もあり、GM特別アドバイザーの肩書で巡回コーチの仕事を始めた。

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「どの選手をキープしたい?」

 ヤンキースは1Aから3Aまで計5チームを保有する。加えてルーキーリーグのチームをバージニア州とフロリダ州、ドミニカ共和国にも抱える。傘下のマイナーで約300人が大リーグを目指して野球に打ち込んでいるのだ。これまで松井氏が主に指導してきたのはニューヨーク周辺に位置する3Aスクラントンと2Aトレントン(ニュージャージー州)、1Aスタテンアイランド(ニューヨーク州)で、時にはサウスカロライナ州やフロリダ州の1Aチームまで足を運ぶ。

 3A、2Aでは監督とともにユニホーム姿でベンチ入りすることが多い。

「試合では投手に対するアプローチの話になる。英語では毎日苦労している。伝えたいことを伝え切れない。アメリカにいる以上永遠のテーマ」と松井氏は限られた時間で的確な指示を求められる難しさを口にする。

1Aスタテンアイランド(ニューヨーク州)の練習を見守る松井氏 ©Kotaro Ohashi

 現在は指導に加えて編成にも関わっている。球団は毎年40人をドラフト会議で指名し、30人前後とサインする。ドラフト対象外のドミニカ共和国やベネズエラからも絶えず新戦力が送り込まれてくる。選手を増やし続けるわけにはいかず、入ってくる人数だけ放出することになる。他球団から戦力外となった選手の獲得に動くときも、同時に誰を切るかを決めなければならない。

「『ヒデキだったら、どの選手をキープしたい?』とキャッシュマンGMに判断を求められる。そういう判断は選手を定期的に見ていないとできない。そこには責任が伴う。自分にとって貴重な経験をしている」と緊張感を持って選手のプレーに目を注いでいる。