「2015年3月、カメラを持って付近を撮影していた私は、小学生を撮影にきた不審者だと思われたのだ。その時、この地区では未だに宮﨑勤の亡霊は生きているのだと思った」

 1988~1989年、日本中を震撼させた「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」犯人の宮崎勤(享年45)。そのあまりにもおぞましい犯行内容、そして彼が世間に与えた悪影響とは? 重版もしたノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

被害者が連れ去られた犯行現場 ©八木澤高明

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東京・埼玉「連続幼女誘拐殺人事件」

「あそこにカメラを持った何か変な人がいます」

 集団下校をするために校庭に集まった小学生たちが、先生にそう伝える声が聞こえてきた。変な人とは私のことだった。

「早く帰りなさい」

 先生がそう促すと小学生たちの集団は走って学校を出て行った。私は、埼玉県入間市にある入間ビレジ七号棟前に架かる歩道橋にいた。2015年3月、カメラを持って付近を撮影していた私は、小学生を撮影にきた不審者だと思われたのだ。その時、この地区では未だに宮﨑勤の亡霊は生きているのだと思った。

 この歩道橋で当時、4歳の今野真理ちゃんが連れ去られたのは、1988年8月22日のことである。

 事件からかなりの年数が経ち、この場所を通学路に使う小学生たちは、宮﨑勤が起こした事件を知らないだろう。ただ、この界隈に暮らしてきた人々や小学校の先生たちには、今も生々しい記憶として残っていて、不審者への警戒を怠らないのだ。

 宮崎は国道一六号線を走り、土地勘のあった東京電力新多摩変電所へと向かい、そこで車を止めて、ハイキングコースを歩いて、日向峰の山林の中で、真理ちゃんをいきなり押し倒し絞殺した。翌日にも殺害した現場を訪ね、真理ちゃんの性器に指を入れるなどした様子をビデオ撮影した。

 翌年には真理ちゃんの殺害現場から遺骨を持ち帰り、自宅前の畑で家具類などと一緒に燃やしてから骨だけを拾い、真理ちゃんの半ズボンやサンダルの写真とともに段ボール箱に入れて、両親が暮らしていた入間ビレジの玄関の前に置いた。

 マスコミによって、送られてきた真理ちゃんの歯が別人のものだという報道がなされると、今田勇子名で犯行声明文を送りつけるのである。

 一件目の犯行を振り返っただけで、おぞましい気持ちにさせられる。その後、宮崎は犯行を重ねていき、4人の幼女を殺害した。

東京都江東区の幼稚園女児の遺体発見場所に建てられた慰霊碑 ©時事通信社

 一連の事件を起こしてから、10ヶ月が過ぎようとしていたが、捜査の手は宮崎には及ばなかった。さらに幼女を物色していた1989年7月、宮崎は八王子市内の公園で9歳と6歳の幼女を見つけ、6歳の幼女を公園近くの林道に連れ込み、全裸にして撮影しているところを幼女の父親に見つかり、強制わいせつの現行犯で逮捕された。後に自供によって、猟奇的な事件の数々が明るみに出るのである。

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