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宮崎家に訪れた「最大の悲劇」
そして最大の悲劇は逮捕から5年後の1994年11月21日に訪れる、父親は被害者遺族への慰謝料支払いの目処を立てると、多摩川に架かる神代橋から身を投げたのだった。
宮崎勤の家からほど近い寺に、宮崎家の墓があった。その寺の門前は、織物工場を建てるまで宮崎の一家が暮らしていた土地でもあった。
墓は墓地を入ってすぐの場所にあり、あまり訪れる人もいないのだろう。苔むし、供えられた花も枯れていた。黒い御影石に刻まれた墓誌を見てみると、事件の3ヶ月前に亡くなった祖父、自殺した父の名はあったが、勤の名前は無かった。ただ、墓誌の片隅に無縁一切之霊と刻まれていた。この言葉は、宮崎勤のことであり、彼が殺めた幼女たちのことを意味しているように思えてならなかった。
この言葉を見たとき、宮﨑勤の一族は、現世だけでなく、あの世までも、宮﨑勤が犯した罪を背負っていくのだなと思った。
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