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12年前にも勃発した朝日新聞「尾崎豊問題」とは

 さらに言えば庶民側の視点で書いているつもりらしいがそれがうまくいかず、ただただエラそうに自己満足の屁をこいているのが恥ずかしかった。新聞の一面コラムでスベっているのを見るのはきつかった。冗談抜きでそれが原因で他紙に購読変更したこともあったくらいだ。

 だが今回私が驚いたのは「素粒子」問題だけではない。朝日新聞による尾崎豊問題がまた勃発したからである。というのも今や伝説となっている社説があるからだ。今から12年前、2012年の成人の日の社説だ。

 タイトルは「尾崎豊を知っているか」。

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尾崎豊 ©時事通信社

 ほら、嫌な予感しかしないでしょう。その予感は的中し、冒頭から走り出していた。

「ああ、またオヤジの『居酒屋若者論』か、などと言わずに、聞いてほしい。キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ」

 なんだこれは。成人の日だから若者に語りかけているのは間違いない。しかし居酒屋でいきなり絡みだすおじさんのようだ。

 朝日の社説は尾崎豊が「大人や社会への反発、不信、抵抗」を歌い、『ここではない、どこかを探し、ぶつかり、傷つく』ことで当時の若者の共感を呼んだと語り始める。

朝日新聞東京本社 ©時事通信社

 そして「尾崎豊はどこへ行ったのか」と一方的に問いかけるのだ。そして......

「いくら『若者よもっと怒れ』と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ......」

さらに一方的な地獄の説教は続く

 壮大なるひとりごとである。完全に酔っぱらっている。さらに一方的な地獄の説教は続く。「でも、言わせてもらう」と書いたあと、

「私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。 だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。 ともあれ、おめでとう」

 何を言っているのか。さんざん若者に絡んだあとに「ともあれ、おめでとう」って。どこまでエラそうなんだお前は。そういうとこだぞ朝日は。

 こんな大人にはなりたくないという読後感だったが、社会に出たらいきなりマウントされた若者の悲劇にも思えた。

 なぜこんな悲劇が起きたのか?