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尾崎豊のイメージを安く利用しているだけのように見える

 普段からただでさえ説教臭い社説が「我々はすでに成人している先輩である」という謎の優位性を爆発させるのが「成人の日」の社説だからだ。少し前までは本当にこの手の社説が多かった。

 私のほかにも多くの人が、注意のために世の中にこうして問うてきたことで少しは気づいたのか、最近は成人マウント社説は少なくなってきた。しかし今回また尾崎豊である。冒頭で「朝日新聞がまたやらかした! あれほど注意しておいたのに」と書いたのはそういう歴史があったからだ。

 私がもう一つ気になるのは朝日新聞による尾崎豊の安直な使い方である。

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 こうした社説やコラムを書けるのはベテランだろう。尾崎豊が活動していたころに青春時代を過ごした人たちなのかもしれない。

 しかし文面から感じるのは尾崎が好きというより尾崎的な「大人や社会への反発、不信、抵抗」というイメージを安く利用しているだけのように見える。こんなにスベった使い方をちょいちょいされて本当の尾崎ファンはどう思うのだろう。

 だから、くどいけれど、きょうも言う。朝日新聞ってのは、そんなもんだ。 ともあれ、おめでたい。