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中居正広が出会った“ある人物”

 そこでまずはプロデューサーが入れ替わる。登板したのは荒井昭博さん。SMAPがレギュラー出演していた『夢がMORI MORI』も担当していた方です。荒井さんは『笑っていいとも!』のテコ入れ策をどんどん実行します。その一つとして、SMAPのメンバーを入れようとなったのでした。

 同時に、ディレクターも一気に若返りさせました。20代も混ざる若き人材に曜日ごとの担当を任せて、好きなことをやっていいと言い渡します。

 新ディレクター陣は自由を得て、各々思うがままに企画をつくっていきました。当たったりハズしたりしながらも、「最近『いいとも』が変わったぞ、いろんなことをやっていて活気がある」との評判をとることには成功しました。

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 中居さんはそこで、片岡飛鳥ディレクターと出会います。飛鳥さんは、敬老の日の前週に会場のお客さんを高齢者だけにしたり、江頭2:50さんを番組に起用して客席へダイブさせたりと、当時から大胆かつ計算され尽くした企画を連発。のちには『めちゃ×2イケてるッ!』、通称「めちゃイケ」を立ち上げ、長寿人気番組にした方です。

バラエティー演者としての能力を開花

片岡飛鳥氏 ©文藝春秋

 片岡飛鳥さんとの出会いは、中居さんにとって相当大きい刺激となりました。飛鳥さんは徹底した「理論の人」で、番組のあらゆる細部に至るまですべて明快に説明できねばならないと考えます。それまで必要に駆られてアイドルとしてバラエティーをやってきた中居さんは、飛鳥さんのもとで笑いはどうやったら起こるのか、笑いに至るフリはどうつくっていけばいいかを、学び吸収していったはずです。

 そうして中居正広さんは、アイドルでありながら演出側の視点を持った、バラエティー・モンスターとして飛躍を遂げていくのです。

『笑っていいとも!』の共演者に、ナインティナインのふたりがいたのもよかった。よき友でありライバルとなる同世代の仲間を得て、中居正広さんはバラエティー演者としての能力をより開花させていきました。

 もちろん資質もあったのでしょう。中居さんは僕と同い年ですが、この世代は「テレビの時代」に育っており、とんねるずなどのお笑いに皆が夢中になったものです。同時に少年隊や光GENJI、男闘呼組らの男性アイドルの活躍も目撃している。お笑いもアイドルも好きというハイブリッドな趣味嗜好が、中居さんの原点にあるのを僕は感じます。

 中居さんのバラエティー開眼は、SMAPのメンバーにも好影響を与え、1996年から始まる彼らの冠番組『SMAP×SMAP』へとつながっていきます。