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グラドルでは芽が出ずにギャンブルで生活をしていた

ーー上京後は最初からグラビアアイドルとして活動したんでしょうか。

日野 いきなりグラビアは行かずに、エキストラだったり小さい仕事をもらいながら、どういう方向でいくか事務所と話しました。事務所にはメジャーデビューしたアイドルグループがいて、最初はそこに入りたいと思っちゃったんです。

 ただそこには入れなかったし、やっぱり王道の一流アイドルにはなれないんだなって思って。そんな時、事務所の人に「グラビアのDVDを出してみる?」って言われて。DVD会社に挨拶に行かせてもらって、2014年にDVDを出すことになりました。

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ーーDVD以外にもデジタル写真集を何冊か出されていますが、タイトルがバストにまつわるもので刺激的です。

日野 恥ずかしい。いい思い出です(笑)。当時はGカップを売りにしていました。ただグラビアをしていても結局は「週刊プレイボーイ」であったり、有名な雑誌の表紙になれなかったんです。やっていたらわかるじゃないですか、スター性とか。なので私には素質がないんだなと思ってました。

©佐藤亘/文藝春秋

 私はAKB48の初期メンバーの一人を推していたんですが、その子がアイドルを辞めてAVデビューしたこともショックで。「ただでさえグラドルで売れていないのに、水着の需要がなくなったらどうなるんだろう」「もし私がAVの世界に入っても、需要はないだろうな」と思って。やりたい仕事がないし、この先、何の仕事をすればいいんだろうと考えていました。

ーーグラドル時代はギャンブルで食べていたと聞きました。

日野 グラビアをやりながら、パチスロ、競馬もボートレースもと何でもやってましたし、それで生活もできてました。特にパチスロではめっちゃ儲けていました。「ミリオンゴッド」とか打って、稼げた時は1日で20万円くらいになりました。そのスロットで勝ったお金を、さらに競馬で増やすみたいな感じで。

ーーギャンブルで稼いだ金をさらにギャンブル! 勝負師ですね。

日野 そこに関しては運がよかったです。競馬は穴党(人気の薄い馬の馬券を買う人)で、一回だけ帯(100万円以上の払い戻し金)を取りました。ボートレースも1000円賭けて10万円になったり。なので結構潤っていました。ただ金遣いも荒いので(笑)。かわいいものも好きだし、ブランドものも好きだしで、ギャンブルのあぶく銭は貯めないで全部使ってました(笑)。

ユニフォーム姿の日野選手 提供:公益財団法人JKA

ーーギャンブル漬けですね。よく破産しなかったですね。

日野 波はありました。家にあるいらないものを売りに行ったりと修羅場もくぐってます。もう死ぬよってくらいお金がないときになけなしの1000円を持って新宿のマルハンでジャグラーを打ったら、いきなりペカって(ボーナス確定演出)、連チャンしたり。今思うと怖かったですね。

 でも借金とかはなかったです。グラドルだったのでクレジットカードも審査も通らなくて。逆にそこは良かったなと思います。ずっと現ナマで生活していたので。