女性競輪「ガールズケイリン」の選手として活躍する日野未来(31)さん。元グラビアアイドルから競輪選手へと転身した異端児だ。競輪選手以前の西麻布で遊んでいた“港区女子”時代から、真逆の競輪学校での生活。そして選手としてぶつかった“壁”について聞いた。(全3回の2回目/続きを読む)
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アルコール漬けの生活から一転、奈良の競輪学校へ
ーー日野さんが福岡出身なのに、ホームバンクが奈良競輪場であることが気になってたんですが、まさかお酒が理由とは。東京でのグラビアアイドル時代は相当飲んでいたんですか?
日野 めちゃ飲み歩いていました。仕事が終わったら西麻布に行って、そこからまた仕事という行き来でした(笑)。だから、この生活はダメだなって。
ーーその時、有名人とかいましたか。
日野 有名な男性アイドル事務所の人とか、いっぱいいました。西麻布だといろんな芸能事務所の社長さんを見るじゃないですか。マネージャーさんにも「あまり飲み歩くな」と怒られていたので「近くに事務所の社長も来ているよ」って言われたら、逃げてました(笑)。
ーーご両親はギャンブルだったりアルコール漬けの生活を知っていたんでしょうか。
日野 知っていました。むしろ、ママは「よいパトロンとかいるでしょ。いい金持ちを捕まえて結婚しなさい」みたいなことを言っていて(笑)。確かに周りにはパパがいる子もいました。けど、私は飲み歩くのは好きだったんですけれども、特にこの人にハマるとかはなかったです。
ーーそうした生活から競輪選手への転向とは、真逆ですね。競輪選手になるためには、まずは日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)に入学する必要があります。
日野 競輪学校の試験はまず実技があって、基準タイムに合格したら、面接と筆記試験なんです。入学のためには高校卒業の認定が必要なんですが、当時は高校卒業の資格を持っていなかったので、まず東京で1か月、高等学校卒業程度認定をとるための専門学校に集中して行って、試験に合格してから奈良に行きました。
その後は競輪場で師匠である佐藤成人さんについて、自転車のトレーニングを始めました。師匠は最初「グラドルが来るんか。俺、見たるで」という感じだったらしいんですが、いざ来てみたら体はでかいし、丸刈りにしてモンチッチみたいな私で「あれ、グラドルはどこ?」となったらしいです。