女性競輪「ガールズケイリン」の選手として活躍する日野未来さん(31)。グラビアアイドルから競輪選手へと転身した異端児だ。ギャンブルで生活していたというグラドルが、なぜ運動経験がない中、競輪の世界に飛び込んだのか聞いた。(全3回の1回目/続きを読む)
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福岡ではアイドル活動に専念、チャンスを掴んで上京
ーー競輪選手の日野さんですが、もともとスポーツ経験はなかったそうですね。
日野 小学校までは新体操、水泳と習い事をたくさんやらされたんですけど、もうやるのが嫌で。運動ができる方でもなかったですし。ただスポーツは好きじゃないけど、踊るのとか歌うのが好きで、モーニング娘。の真似をしてました。
ーー高校生になると福岡の御当地アイドルの1期メンバーになります。
日野 もともと高校に入学するのも迷っていたんです。東京で芸能学校に通っている女の子たちに憧れていて。中学を卒業して、東京に行こうとも思ってたんですが、両親に「とりあえず高校は行った方がいい」と言われて。高校もイヤイヤ入学しました。
地元大分の芸能科のある高校に入学した後、AKB48とかSKE48とかアイドルのオーディションを何度か受けているんです。ただ全部落ちて「アイドルは諦めるしかないかな」と思った時に受かりました。その頃には「学校って意味あるのかな」と思っていて。だったらアイドル活動に専念しようと高校を辞めて、福岡で活動を始めました。
ーー日野さんはオーディションに受かった当時、新聞の取材を受けているんですが、今後のアイドル活動についてではなく「東京で女優になるのが夢」と語ってましたね(笑)。
日野 どうしても東京に行きたいというのが頭の片隅にあったんです。東京のすごくキラキラした芸能界がやっぱり憧れで。
ーー当時だとアイドルブーム以前ですね。グループではどんな活動を?
日野 ザ・地下アイドルみたいな活動でした。やっていることはAKB48のほぼ真似事だったんですけど、福岡のお客さんがたくさん来てくれていたので、それを誇りに思って活動していました。15歳から21歳まで在籍して、キャプテンも任されました。
ーー上京のきっかけはなんだったんですか。
日野 ある時、福岡のどんたくで募金活動をしていたらスカウトマンが、こっそり名刺を渡してきて。東京のすごく大手の芸能事務所だし、このチャンスを逃せないと思って、所属していたグループを辞めて上京しました。