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「筋肉痛を超えて、もう無みたいな感じでした(笑)」

ーー日野さんはスポーツ経験がなかったわけですが、基準タイムを超えるというのは相当大変だったのではないですか。

日野 毎日のトレーニングは辛かったんですけど、嫌だなとか苦しいなとは思わなかったです。自転車に乗り始めたら、タイムが少しずつ伸びていく。私にとってはそれがすごく楽しくて。選手を目指してからお酒をやめたんですが、そうすると体がどんどん健康になっていって。それも楽しくって。

©佐藤亘/文藝春秋

 奈良競輪場の方に実は基準タイム自体を教えてもらってなかったんです。「とりあえず、よくなるよう練習しろ」「そんなタイムじゃ受かんないぞ」とだけ言われていて。知識なく練習を始めたので、がむしゃらに頑張れました。私より大変だったのは師匠や面倒見てくれた奈良の先輩選手だと思います。

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ーー競輪選手のトレーニングでは、永遠と筋肉痛が続くと聞きます。

日野 筋肉痛を超えて、もう無みたいな感じでした(笑)。肉体が疲れ果てていて、痛いとかじゃないんです。でもマッサージに行くお金もないので、全然ケアとかもせずに、そのままずっとトレーニングを10か月、ほぼ休みなくやりました。本当は筋肉のことを考えると、もっと効率よく休養日をいれなきゃいけないんですけど、本当に必死すぎて。

ーーその甲斐があり、2017年に日本競輪学校に合格します。学校生活はどうでしたか。

日野 高校にはあまり行ってなかったので、集団生活自体が新鮮で楽しかったです。同期は21人いて、陸上競技をやっていた方、車のディーラーや溶接工をやっていた方だったり、いろいろなところから来てました。

 学校自体も入学までの練習が大変だったので、入ってからは楽になりました。ただ特別教室というのがあって、それはきつかったです。オリンピックを目指す子だったり、エリート的な選手が呼ばれて、校長先生の滝澤正光さんが直に練習をみてくれるんですけど、50キロで走るバイクに引っ張られながら自転車を漕いだり。それがきつくて、呼ばれた選手はみんな泣いてました(笑)。

ーー競輪学校での成績はよかったそうですね。

日野 年に数回ある記録会では1位を取ることができました。パリオリンピックに出場していた佐藤水菜ちゃんより速く走れたけど、人生で勝てたのはここだけでしょう(笑)。学校生活ではレースがないので、記録会でいいタイムを出すことに命をかけてました。

練習中の日野さん 提供:公益財団法人JKA

デビュー戦は3着、お客さんからは「全然強くないじゃん」

ーー2018年3月には競輪学校を卒業し、晴れてプロになります。

日野 奈良競輪場でデビューして、最初のレースは3着でした。競輪は3着までに入れば車券に絡めるので、お客さんのためになります。なので、とりあえず3着に入れてほっとした気持ちと同時に、先輩のスピードがすごくて圧倒されました。

 初勝利は2場所目の岸和田競輪場でした。憧れた先行(ラインの先頭を走る走行戦法)をしてみたら、逃げ切りできたので、それで初勝利でした。ただエリートの子はデビュー戦で1位をとっちゃうので、置いていかれた感じもして。お客さんには「学校の記録会で1位だったのに、デビュー戦3着なの? 全然強くないじゃん」ってものすごい言われました。

 私は期待されることのプレッシャーはあまり感じないんですけど、自分でもギャンブルをやっていた分、お金が賭けられたことに対して、すごくプレッシャーを感じます。負けると申し訳ないって気持ちが大きい。だって私に賭けた100円が帰りの交通費だったかもしれないので。