「生々しい長澤まさみ」といえば大根仁
野田秀樹、三谷幸喜、古沢良太と長澤まさみを魅力的に描く作家を3人あげた。もうひとり、長澤まさみを描いたら日本一ではないかというクリエーターがいる。おわかりの方もいるだろう。あの人だ。大根仁である。大根こそ「俺こそは」と思っているに違いない(あくまで想像です)。
記憶に新しいのは22年に放送された連続ドラマ『エルピスー希望、あるいは災いー』(フジテレビ系 カンテレ制作、脚本は渡辺あや)である。善一辺倒でも悪一辺倒でもない、人間のグレーな部分を描いた傑作で、長澤は冤罪事件に立ち向かうアナウンサーを演じた。局アナである以上、局のやり方に従うしかないこともありながら、ジャーナリズムが政治(国家権力)に屈することに抗い、自分の正義を信じようとする姿は多くの視聴者に支持された。はっきり言葉に出せないことが溜まって吐き気を催す懊悩や、かつての恋人が悪に加担していることを知りつつ、心身共に拒絶できない葛藤を演じる長澤を、大根はひじょうに生々しく撮った。
「生々しい長澤まさみ」といえば大根仁。映画『モテキ』(11年)でも、長澤がTシャツとショートパンツで主人公の部屋にいる姿は、多くの男性観客に「こんな彼女がいたら」と熱望させた。グラビアや写真集における「最高の彼女」的な長澤まさみを映像に撮ったら大根の右に出る者はいないと思わせてから11年、『エルピス』では、男性視点の「最高の彼女」像から脱し、「自立した女性」を演じる長澤を撮ったのである。
そして、いま、長澤まさみは、男性たちを手玉にとりながら、決して彼らの手に入らない幻のお宝のような役を演じて燦然と輝いている。
近年の長澤は『エルピス』をはじめとして、映画『MOTHER マザー』や『ロストケア』など、社会派作品にも多く出ている。出自は東宝シンデレラで、どちらかといえば清純派。きれいでさわやかなヒロインキャラを求められてきたのではないかと思うが、今はそういう路線も守りつつ、社会の裏側を見つめるような役にも果敢にチャレンジしていて、バランスがいい。以前、長澤にインタビューしたとき、演じるジャンルについてどう思っているのか聞いてみたら、こんな答えが返ってきた。
「私が好んで人間を深く識る作品を意識的に選んでいるかと問われたら、そういうわけでもないんです。人間が多面的であるということはデフォルトであり、深く人間を理解しようとすればするほど、多面性がどんどん浮き彫りになっていくものだと思うんです」(「mi-mollet」2024年4月25日 長澤まさみ「乗せ方がうまいから隠し持った本音がつい出てしまうんです」より)
社会派な作品もエンタメも好きで、「社会性のある作品であろうと、エンターテイメントであろうと、演じる役を深く掘っていくことは結果的には同じ作業だと思っていて、俳優として役を演じる上では、ジャンルは意識していないんです」と語る長澤は、「作品のために、作家や監督が作りたい作品を成立させるために存在している立場に居たい。いろいろな役を演じられるスキルや感性を持って芝居に臨むだけなんです」と俳優としての矜持を語っていた。
この答え、まさにスオミではないか。夫ごとに変わるスオミの姿は、求めてくれる人のために精一杯、期待に応えようとしたために生まれた。つまり現時点では、三谷幸喜が「長澤の人間らしさ」に肉薄したといえるかもしれない。あくまで一般論だが、美しい女優は、あるとき、美しさだけでは満足できず、実力派という称号が欲しくなる。とりわけ器用な人は、私、かわいいだけじゃないんです、いろいろな役ができるんです、コメディも得意です、という自負が透けて見えることがある。だが、長澤まさみにはそれがない。謙虚さが、いい作家、演出家との出会いを呼ぶのではないだろうか。
長澤まさみを輝かせる4人のクリエイターの名前をあげたが、5人めは、空白にしておこう。