猫は十年たつと人間の言葉を理解する、と言われています。夫が先に起きてⅮちゃんの寝床へ行き「Ⅾちゃん、りんこ起きてるよ」と声をかけると、私はいっさい声を発していないのに、Ⅾちゃんは必ずむくりと起き上がって私のところまで歩いてきました。そして布団に入ってきて、私の胸の上でしばらくゴロゴロと言いながら寝て、気が済むと出ていき、自分の寝床に戻るのでした。
「Ⅾちゃんは、絶対俺の言葉を理解している」と夫は笑っていました。
そんな数年を過ごし、ある晴れた日の朝、徐々に力が弱っていた前足が、とうとう体を支えることができなくなりました。いよいよかもしれない。私は、Ⅾちゃんのそばを離れませんでした。Ⅾちゃんは横になって、何も食べずに、水も飲みません。その日は、夫と二人で寝ずに見守りました。Ⅾちゃんが、おしっこをもらしたとき、残された時間はもう本当に少ないと、私は覚悟を決めました。涙が溢れて、どうしようもなくて、若い頃と比べると艶のなくなった柔らかい毛を撫でながら「大好きだよ」「そばにいるよ」とずっと声をかけ続けました。
翌日の早朝、Ⅾちゃんは私と夫に見守られながら、眠るように亡くなりました。十八歳でした。顔のまわりを洗ってあげて、体を拭いてあげて、おやつやおもちゃと一緒に、段ボールで作った棺に寝かせました。
火葬してもらって家に帰ってから、途方もない喪失感が胸を覆いつくしました。自分が何をすればいいのか、どうしたらいいのかまったくわからないのです。何もすることがない。顔を拭いてあげる必要もないし、おトイレも気にしなくていい。食べたごはんの計測もしなくていいし、ブラッシングも爪切りもない。毎日薬をあげていた時間に「あ!」と立ち上がってから「ああ、もういいんだ」と座る。そんな日々が続きました。
そんなとき、家族が「Ⅾちゃんにそっくりなぬいぐるみを見つけた」と私にくれたのが、冒頭で書いた「ぺっちゃんこⅮちゃん」でした。
白に茶トラのぶち模様は本当にそっくりで、肥満体型だったⅮちゃんと比べると中綿が少なくてぺっちゃんこに見えました。だから私は「ぺっちゃんこⅮちゃん」と名付けて肌身はなさず、Ⅾちゃんを愛でるようにぬいぐるみをかわいがりました。
四か月ほどたったある日、些細なきっかけで、子猫の譲り先を探している人と出会いました。その人は、「秋谷さんが猫ちゃんを本当に大事に思っているのがわかるから、ぜひもらってもらいたい」と言ってくれました。
でも、Ⅾちゃんのことが忘れられずにぬいぐるみを抱いて過ごしている状態なのに、新しい子猫を飼い始めるのは、Ⅾちゃんにも子猫たちにも悪いような気がしました。Ⅾちゃんを早く忘れたがっているみたいで天国のⅮちゃんが悲しむかもしれない。Ⅾちゃんの代わりを探していたみたいで、新しく来る子猫ちゃんたちが嫌な思いをするかもしれない。決断できずにいました。
悩んでいたあるとき、Ⅾちゃんの夢をみました。夢のなかでDちゃんは、私の布団に潜り、胸の上に乗ってゴロゴロと喉を鳴らして甘えてくれました。あたたかくて本当にかわいかった。会えて嬉しい。目が覚めてからも、ぬくもりが残っている気がして涙がでました。
もしかしたら、新しく子猫ちゃんをお迎えしても「僕は僕だよ」と言いにきてくれたのかもしれない。悲しんでいるより、笑っていてほしい。元気に過ごしてほしい。そんなふうに言われた気がしました。私の思い込みかもしれないけど、いつまでもⅮちゃんを忘れられずに悲嘆にくれて暮らすより、Ⅾちゃんのことを大切に思いながらも新しい一歩を踏み出す。そうしてもいいのかもしれないと思えました。
このとき、私は初めてⅮちゃんの死を受け入れることができたのだと思います。人間と猫では、もちろん違います。でも、身近で大切な存在がいなくなってしまうことがどれほど悲しいのか、つらいのか、現実を受容することの大変さを知りました。亡くなった患者さんのご家族の気持ちが、ほんの少しだけ、自分もわかった気がしました。
決心がついた私は、新しく姉妹猫をお迎えすることにしました。
その日から、ぺっちゃんこⅮちゃんは、Ⅾちゃんのお骨と一緒に子猫たちが入れない部屋に片付けることにしました。
私の生活はにぎやかになりました。子猫姉妹は元気いっぱいで、走りまわるし、カーテンにのぼるし、おもちゃに飛びつくし、ごはんもモリモリ食べる。若い猫ってこんなに俊敏だったっけ、と笑ってしまうほど、激しく遊んでいます。
私の、どうしようもない時期をともに過ごしてくれた「ぺっちゃんこⅮちゃん」は、Dちゃんと一緒に騒がしい私たちを見守ってくれているでしょう。