24時間365日の介助が必要な西田江里さんは、多くのケアスタッフにも支えられながら、母親と暮らしている。そんな江里さんに12年間密着取材。いくつもの人生の暖かい瞬間をとらえたドキュメンタリーに、ジャーナリスト・相澤冬樹が思い浮かべたのは――。
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母と娘は何があっても笑顔で生きていく
私はオシャレと絵を描くのが好き。人生を楽しんでる。障害があるからいろんな人に支えられているけど、私はこれからもみんなと生きていくんだ。
映画の冒頭。満開の桜並木の下、車いすで女性が散歩している。「きれいだね」と話しかける母親の脇で満面の笑顔を見せる。次の場面で母親の若い姿が映る。その笑顔は現在の車いすの娘とそっくりだ。何があっても笑顔で生きていく。そんな母と娘を軸に物語は進む。「自立」ってどういうことだろう。そのことを真正面から問いかけている。
西田江里さんは1989年生まれ。バブル真っ盛りで、母の良枝さんは娘の華やかな人生を思い描いたが、ほどなく江里さんに重い障害があることがわかる。自力で移動できず、日常生活全般に誰かの介助が必要だ。最初は「人生が終わった」と感じたが、くじけてばかりはいられない。江里さんが生きやすい世の中を作ろうと自ら動き始める。
小学校では市外の養護学校に通うよう求められた。行政と掛け合って地元の小学校の普通学級に通い始める。教職員の理解と協力もあって、同級生たちとともに過ごすかけがえのない日々を体験できた。多くの子どもたちが江里さんの自宅に遊びに来る。「極楽、ここにいると」と話す子どももいた。母の良枝さんが振り返る。
「子どもたちの中で育ちあった。楽しかった、自分もしたいという気持ちがめばえた。その意欲が命をつないでいく」
自分の息子のことを思い返した
この言葉で私は自分の息子のことを思い返す。発達障害で集団生活になじめず、はたから見ればおかしな行動をしてしまうことがよくあった。小学校で支援学級に入ったが不登校に。唯一、学童保育には通えたが、そこにも「来ないでほしい」と拒絶された。「うちの子はどこにも居場所がないのか」と絶望的な気持ちになったことを思い出す。
江里さんは子ども時代の同級生たちとの触れ合いで、人生に前向きな気持ちを持つことができたに違いない。そして良枝さんも江里さんからポジティブに生きるエネルギーを受け取ってきたようだ。地域で障害ある人たちの暮らしを支える社会福祉法人を立ち上げた。江里さん自身もこの法人のサービスを受けながら暮らしている。