SNSやブログなどで、誰もが情報発信の可能な時代。一人でニュースを発信することの可能性とリスクとは何か? ネット黎明期から個人での発信を続けているブロガー・山本一郎さんと、この春に独立したばかりのジャーナリスト・井上理さんによる対談です。(4月24日に開催されたイベント「#メディアミートアップ vol.6:一人のメディアはどこまで行けるのか」より抄録/全2回の1回目・後編に続く)

左:山本一郎さん 右:井上理さん

壁新聞でクラスの友達と競合していた

徳力 本日の司会進行をいたします、アジャイルメディア・ネットワークの徳力と申します。山本さんはYahoo!ニュース 個人文春オンラインの連載をはじめ、さまざまなメディアで情報を発信されています。一方で、この春に日経BP社を退社し独立された井上さんは、これから個人でニュースを発信していかれますが、まずは「ひとりメディアとは何か」をお伺いする前に、お二人と「情報発信すること」の出会いをお聞かせいただけますか?

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司会・徳力基彦さん

井上 僕の場合、そもそものルーツをたどると、小学校1年生のときの新聞係ですね。マジックで模造紙にでかい文字を書いた壁新聞。自分が書いたものを、クラスのみんなが見てくれるという喜びとか楽しさに、自分の原体験があります。で、小学校3年生になると、プリンティングのほうに移行しまして。

徳力 壁新聞ではなくて印刷ということですか。

井上 そうです。富士ゼロックスの方眼紙に鉛筆で字を書いて、印刷室に持っていき、ワラ半紙に高速転写してクラスのみんなに配る。それがまさにひとりメディアだったんですね。当時、同じクラスの友達のライバル紙と競合して、あげく日刊紙になっちゃったんですけど。

山本 すでに職業病ですね。なるべくしてなったんですよ、新聞記者に。

 

井上 小学校5年生になるとシャープの書院を使うようになって、6年生では生意気になって、特集「偏差値を知らない子どもたちへ」みたいなものを書いていました。

徳力 スゲー(笑)。それってふつうなら高校生のテーマですよね。

井上 大人の真似っこをするのが楽しくて、新聞は中学3年生まで続けてました。高校では急にバレーボールに打ち込んだりしたんですけれども、大学ではホームページを使って自分でメディアをどんどん作るみたいなことで、人生通して、個人メディアというものをナチュラルにおもしろがっているという感じです。