1998年の日本テレビ入社以来、野球、プロレス、サッカー、ゴルフ、バスケットボール、バレーボール、ラグビー、NFL、MotoGP、マラソンなど、さまざまなスポーツ中継に携わってきたアナウンサーの町田浩徳さん。多くの歴史的瞬間を目撃してきたなかでも、正月2日、3日に行われる「箱根駅伝」はやはり特別だという。
現在も2025年の第101回大会に向けて取材を続けている町田アナウンサーが、『俺たちの箱根駅伝』上下巻を一気に読破。その感想と駅伝中継の知られざる裏側を、実況さながらに滔々と語ってくれた!
全2回の後編です(前編はこちら)
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中継に初めて導入された「バイク」から実況
――いよいよ箱根駅伝の大会本番となると、実際の中継では想像もしなかったいろいろなハプニングなど起こりますよね。
町田 私は小涌園前での実況を経て、入社5年目のときに箱根駅伝(2003年)の中継に初めて導入された「バイク」に乗ることになりました。いわゆる中継車が1号車、2号車、3号車とあって、いわばバイクは4番目の位置にいるわけです。機動力を生かし、シード権争いや、タスキがつながるかどうか、という選手の頑張りを伝えることになるわけですから、入社5年目の自分が務められるのか不安になりました。
先輩からは「町田はバイクの運転免許を持っているし、MotoGP(世界最高峰のバイクレース)の中継も担当しているからいけるだろう」と、冗談交じりに励まされました。バイクが他の四輪の中継車と違うのは、実況資料を置くスペースがどこにも無い上、サブアナウンサー(実況アナの横で実況をサポートするアナウンサー)やディレクターが横にいないということ。
実況資料に関しては雨よけのハードクリアファイルに入れて、そこに穴を開けて伸縮性のあるヒモで自分が着ていた防寒具と結び、バイクから落とさない工夫をしました。運転手さんの背中にはホワイトボードをくくりつけて、必要なことをメモできるようにもしました。
そのほか、あの環境下では比較的広いスペースだった両方の太ももの上に「区間新記録が出るときのペース配分」や「この大学がシードを獲ったら何年ぶり何度目になるか」などのデータ資料を貼り付け、首には自分でタイムを計測するためのストップウォッチを7~8個ぶら下げて……。大人用の紙オムツをすることも勧められましたが、どうしても集中できない気がしたので着用しませんでした。その代わりに、前夜9時以降は水分をとらず、当日の朝も、お茶でうがいをして口の中を湿らす程度で臨みました。
今はずいぶん中継用のバイクもハイテク化が進んで、通過順位やペースなどのデータが表示されるモニターもありますし、資料を入れるスペースもできて環境が整っています。でも当時は何もかもが手探りで「パイオニア(先駆者)としてよくやったね」と言われると、ふつうは謙遜するところなんですけれど、「いや、本当にそうなんですよ」っていつも言っています(笑)。
実況で印象に残っているのは、2012年の第88回大会、復路の鶴見中継所でのタスキリレーですね。神奈川大学が何とか繰り上げスタートにならずに済むと思っていたら、中継所の直前で何と繰り上げまで残り10秒で転倒、立ち上がるも更に中継所の手前10mで2度目の転倒。残り5秒、4秒、3秒・・・しかし執念で、繰り上げまで残り0秒でタスキを繋いだシーンです。20キロ以上走ってきて、まさかこんなことが中継所の直前、私の目の前で起こるとは……。今でも忘れられないシーンです。