Xさんからもはや話を聞けない以上、なぜ、あの文書を作成・流布したのか、彼の真意がわかりません。私のどの行為に対して抗議して亡くなったのかもわかりません。にもかかわらず、私の行為がXさんの死と密接に結びついていると報じられています。懲戒処分に不満はあったかもしれませんが、百条委員会でいくらでも話はできたはずです。こういった因果関係がはっきりしないなかで、私や片山(安孝)前副知事にXさんの死の責任があるとする報道は、今も理解に苦しんでいます。
播州弁の厳しい口調
兵庫県は私の前任の井戸敏三元知事の県政が5期20年続きました。私も役所で仕事を続けてきたのでわかるのですが、長年変化のない組織を変えることはなかなか難しい。兵庫県庁でも同じ雰囲気を感じていて、実際に古くからの職員は保守的です。例えばコスト増を理由に、1000億円以上かかると試算されている県庁舎の建て替えを凍結したときには、職員のほうから「建て替えせざるを得ない」「今まで通りの方向でいきたい」といった意見が出ました。
兵庫県は、井戸さんがそうであったように副知事から知事になった例も多く、旧態依然とした流れがずっと続いていました。私はそんな県政から脱却したかったのです。
そこで2021年の就任直後、知事直轄の「新県政推進室」を立ち上げて(23年3月末に廃止)、改革を進める体制を作りました。Xさんとは震災をきっかけに出会ったとお話ししましたが、ほぼ同時期に片山前副知事と前総務部長、産業労働部長、若者・Z世代応援等調整担当前理事とも宮城県で知り合い、関係を築いていました。就任当初、庁内にほとんどツテのなかった私はこの4名を招集して新県政推進室をつくり、動き始めたのです。
この4名は、Xさんと同じ人事畑出身なんです。Xさんとは昔からずっと一緒にやってきた間柄で、片山さんはXさんのことを「Xちゃん」とあだ名で呼ぶほどでしたから、関係はよかったと思います。
3月25日、文書について確認するため、片山さんが西播磨県民局を訪ね、Xさんを聴取しました。もともと親しい間柄であり、片山さんも播州弁で口調の厳しいところがありますから、それでバババッと詰問してしまったのは事実です。表現や内容に行き過ぎたところがあったことは、その時の音声データの書き起こしを読んで感じましたし、そこは反省すべき点かもしれません。
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このインタビュー全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(斎藤元彦「『感謝の言葉が足りませんでした』斎藤元彦・前兵庫県知事が語った失敗と反省」)。インタビュー全文では、下記の内容について語られています。
・Xさんから話を聞きたかった
・播州弁の厳しい口調
・「文化学術系嫌い」の真相
・結果にこだわりすぎた
・県民本位の県政に
・愛読書は司馬遼太郎