1979年、妊娠していた20代の頃に「卵で産みたい」という発言で、世間をにぎわせた女優の秋吉久美子さん。一見、突飛に見える発言だが、実はこの裏には彼女なりの深い意図が。この発言はなぜ生まれたのか? なぜ正しく伝わらなかったのか? 当時の状況を、秋吉さんとエッセイストの下重暁子さんの特別対談集『母を葬る』(新潮社)より一部抜粋してお届けします。(全2回の2回目/最初から読む)
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「卵で産みたい」発言の理由
下重 秋吉さんは20代で結婚される際、お子さんを「卵で産みたい」とおっしゃって、大きく報道されました。
秋吉 あれには背景があったんです。当時のマネージャーの意向が強くあって、半年間は妊娠を伏せていました。公表すると仕事に支障が出ると判断したのでしょう。お腹に子どもがいることを公にしないままアメリカでロケをして、バスで1日10時間も移動しました。同時期に連続ドラマの撮影も2本掛け持ちしていた。連日のように、朝9時から深夜まで20時間もの撮影をこなして、ついに体調を崩してしまいました。
下重 そんな無茶なことをしていたんですか。
秋吉 あちこち具合が悪くなって、さすがにド根性だけでは乗り切れなくなった。いよいよ出産時期が近づいてきたので、あるドラマを降板したのだけれど、それがきっかけでマスコミから質問攻めに遭ったんです。
下重 取材記者が殺到した。
秋吉 はい。撮影の現場にいたら、たちまち取り囲まれてしまって。
下重 あの報道はその時のものだったのね。
秋吉 はい。「降板の理由は、もしかしたらご出産ですか」って聞かれた時に、いったんです。
「こんなことになるのなら、いっそのこと卵で産みたい。3年くらい保存しておきたいわ」
体調がよくなるまで卵で子どもを温め続けて、時間と心に余裕ができた時に落ち着いて産み育てたいという意図でした。でも、そういう喩え話って、100人いたら100とおりの解釈ができますよね。「面白い」といってくれた人もいたし、「ヘンな子だね」と眉をひそめる人もいました。