「あの頃の私は、アナウンサーというのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。仕事そのものは面白いところもありましたし、もちろん一所懸命やっていましたよ。でも…」
日本を代表するエッセイストで、かつてNHKにアナウンサーとしても活躍していた下重暁子さん。ところが、アナウンサーの仕事は「嫌で嫌で仕方なかった」理由とは? 下重さんと女優・秋吉久美子さんの特別対談集『母を葬る』(新潮社)より一部抜粋してお届けします。(全2回の1回目/後編を読む)
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アナウンサーなんて大嫌い
秋吉久美子(以下、秋吉) 下重さんとは今回の対談で初めてお目にかかりますが、実は同じ事務所に在籍していた時期があるんですよね。
下重暁子(以下、下重) ええ、秋吉さんが、永六輔さんの事務所に所属していた。私は31歳でNHKのアナウンサーを辞めたあと、民放の番組で永さんと一緒に司会をするはずでした。ところが永さん、初回で降りちゃったの。番組の途中で「やーめた」といって。
秋吉 それは強烈な体験ですね。びっくりなさったでしょう。
下重 番組には私一人が残されちゃった。不憫に思ったのか、永さんは自分の事務所に誘ってくださったんです。
秋吉 下重さんと同じ事務所に所属していたのは、おそらく1990年頃だったはず。夏の時期に、連続ドラマの撮影をしていました。途中で1週間だけ休ませてもらって、海外の映画祭に出かけたんです。私が出演した映画が出品されたので、監督に同伴しなくてはならなかった。ところが、予定どおり1週間後に帰国したら、ドラマのロケ地だったひまわり畑の花が成長しすぎてしまっていて。
下重 お天気がよかったのね。
秋吉 そうみたい。想定外だったとはいえ、申し訳なかった……。
下重 アナウンサーも女優さんも、もちろんスタッフのかたがたも、不測の事態に対応しなきゃいけない職業よね。
秋吉 本当に、おっしゃるとおりです。
下重 あの頃の私は、アナウンサーというのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。仕事そのものは面白いところもありましたし、もちろん一所懸命やっていましたよ。でも「アナウンサー」という肩書きがいったい何者なのかわからず、好きじゃなかったの。
秋吉 えーっ、どうしてですか。私はアナウンサー、好きです。
下重 どうして好きなの?
秋吉 アナウンサーの皆さんに、いつも救われていると感じるから。私の本業は女優ですが、ご存じのとおり、地上波のドラマ枠は減る一方です。映画にしても、アニメやライトノベルが原作の作品が増えてきていて、自分の本領を生かせる場も限られています。そんなわけで、バラエティ番組に出演することもあるんです。
下重 ええ、よくわかりますよ。
秋吉 最近はお笑いの芸人のかたが司会を務める番組が多いでしょう? そういう現場で私が感じるのは、MCの人が出演者の脇を詰めていく──つまり、タレント業が本業ではない役者やモデルさんを突っついて、弾みで「ヘンなことをいう」のを待ち構えている感がある。
下重 それでウケを狙うのね。