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 坂本は巨人一筋18年。田中は星野仙一監督が指揮を執った13年に神懸かり的な成績で球団史上初の日本一に貢献し、東日本大震災からの復興の象徴になった。翌年ポスティングシステムでヤンキースに移籍したときも、楽天には20億円以上の譲渡金をもたらしている。

 球団への貢献度では甲乙付けがたく、坂本と同じく田中にも「将来の監督」という目はあったはずだが……。

「マー君ほどの選手の契約ですから、三木谷オーナーの意向が絡んでいないはずがありません。交渉もたった一度で、球団側に歩み寄る気がなかったのは確実。1億円を切る提示をすればマー君が自由契約を選ぶことは予期できたはずで、実質は戦力外通告に等しいものだったと言えます。ビジネスとしては当然なのかもしれませんが、三木谷オーナーにとってはマー君が名球会目前であることなどさしたる問題ではなかったのでしょう。これまでの球界の慣例からは考えられないほどドライな判断で、星野さんが生きていればこんなことにはなっていなかったと思います」(同)

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星野仙一 ©文藝春秋

「星野さんがいれば、マー君にあんな…」

 星野氏は楽天で11~14年に監督を務めた後、球団副会長に就任した時には、三木谷オーナーの介入から現場を守る防波堤になろうと努めてきた経緯がある。

 しかし星野氏がシーズン前に死去した18年には、梨田昌孝監督がシーズン途中で解任の憂き目にあっている。梨田氏に近い関係者は当時を述懐した上で、今回の田中退団をこうみた。

「星野さんがオーナーの介入を抑えてくれていたことを、いなくなって痛感しました。星野さんがいれば、マー君にあんな『もう期待されていないんだな』と絶望させるオファーは出さなかったはず。でも今の石井(SD)はオーナーに従順なので、意見するなんてことはあり得ないですよ」