「宮邸に住まずに、2人とも勝手」瑶子さまが抱える不満
長女の彬子さまは「文藝春秋」(15年7月号)の手記で〈長年に亙る父と母との確執〉に触れ、こう明かされている。
〈私自身も10年以上きちんと母と話をすることができていない〉
それだけではない。彬子さまと妹の瑶子さまの間にも溝が生まれているのだ。
「彬子さまは京都産業大学で特別教授を務めておられ、京都と東京を行ったり来たりの生活。京都にマンションもお持ちです。彬子さまがご不在の間、宮邸内の差配は瑶子さまが担われる。瑶子さまはそれに不満を抱えておられるのです」(三笠宮家関係者)
瑶子さまは、母と姉について、周囲にこう漏らしておられるという。
「宮邸に住まずに、2人とも勝手」
皇室の慣例に倣えば信子さまが当主を務められるのが自然だが…
そんな三笠宮家が抱える難題とは、当主選びだ。当主については皇室典範などに定めがなく、各宮家に委ねられる。皇室の慣例に倣えば、三笠宮家の長男・寛仁さまの妃である信子さまが当主を務められるのが自然だが、
「彬子さまや瑶子さまが、宮邸を出たお母さまを当主として迎えるとは考えづらい。かといって彬子さまが当主となれば、お母さまを差し置いて娘が家を継ぐことになる。非常に難しい局面なのです」(前出・三笠宮家関係者)
実際、寛仁さま薨去にあたっては、寛仁親王家の当主選びに約1年の月日が費やされた。この時も、慣例に倣えば信子さまが寛仁親王家を継ぐのが定石だったが、「百合子さまも含めた三笠宮家の方々が全員反対された」(同前)こともあり、三笠宮家に信子さま、彬子さま、瑶子さまが合流されるという異例の決着を見た。
今回はどうなるのか。名古屋大学大学院の河西秀哉准教授はこう見通す。
「百合子さまの葬儀をめぐり、本葬に当たる『斂葬の儀』の喪主を務められるのは彬子さまです。そう考えると、彬子さまが三笠宮家の当主となられるのではないでしょうか」