18歳で皇室の一員に。結婚祝いの晩餐会は真珠湾攻撃の前夜だった。東京大空襲で宮邸は全焼——。

 大正から令和まで、4つの時代を生き抜いた三笠宮家の百合子さまが、11月15日、老衰のため薨去された。享年101。

穏やかに息を引き取られたという百合子さま

◆ ◆ ◆

ADVERTISEMENT

三笠宮家は事実上の“分裂状態”

 1923年に旧華族の高木正得(まさなり)氏の次女として生まれ、三笠宮崇仁さまと結婚。5人の子どもに恵まれたが、高円宮、寬仁さま、桂宮という3人のお子さまを相次いで見送る悲劇にも見舞われた。2016年、75年間連れ添った三笠宮が薨去され、三笠宮家の当主を引き継がれていた。

 百合子さまが名誉総裁を務めた民族衣裳文化普及協会で交流を深めてきた水島博子さん(85)が明かす。

「最後にお目にかかったのは、昨年6月にホテルオークラで行われた、百合子さま100歳のお祝いの集まりでした。百合子さまは車いすでのご登場でしたが、毅然としたご様子と、すっと通るお声が印象的で、お元気そうでした。骨折で来られなかった夫の体調を気遣うお声がけもいただきました。訃報に触れた際は、悲しみ以上にご縁への感謝の想いが溢れ、涙が止まりませんでした」

 悲しみに包まれる三笠宮家。百合子さまという精神的支柱を喪ったことに加え、大きな難題にも直面しているという。

「実は今、三笠宮家は事実上の“分裂状態”にあるのです」(宮内庁関係者)

 寬仁親王妃である信子さまは04年以降、寛仁親王邸(現・三笠宮東邸)から距離を置き、現在、赤坂御用地外の旧宮内庁長官公邸に住まわれている。

信子さま

「別居は夫婦仲の悪化によるものとされ、寬仁さまによるDVが原因とも報じられました。12年の寬仁さまの葬儀にも参加されませんでした」(同前)