“アフガニスタンの60万人を水路で救った”といわれる医師の中村哲さんは、2019年12月4日の朝、武装勢力に襲われて命を落とした。あれから5年、親交の深かったノンフィクション作家の澤地久枝さんのインタビューを一部紹介します。

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まず、水がなければ

 きっかけは、この年にアフガンをおそった大干ばつでした。飢餓状態にある者が400万人、餓死の恐れが100万人という凄まじい被害が予想された。汚い水を飲まざるをえないので、赤痢や腸チフスにかかる人も続出しました。とくに、子どもたちは下痢が原因で次々と命を落としていった。いくら点滴で水分を補給しても命を救うことはできません。人が生きるには、まず水がなければならないのです。

「病気はあとで治せる。ともかくいまは生きておれ」

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 これが、先生が辿り着いた答えでした。

中村哲さん ©時事通信社

 アフガニスタンは元々、豊かな農業国です。先生は内戦で荒れ果てた農地を訪ね歩いて、「水さえ引けば、農業は復活する」と確信を持ちました。こうして、井戸や用水路建設に踏み出すことになったのです。

 ただ、現地に用水路を造れる土木技師は1人もいません。先生は独学を重ねて自ら設計図を描けるまでになりましたが、その過程で日本古来の技術も学びました。帰国するたびに九州各地の用水路や堰を調査して、江戸時代の工法を学び、アフガニスタンにとって最適の技術を模索していったのです。

 その1つが「蛇籠(じやかご)」です。これは、袋状にした針金の中に石を詰めたもの。通常はコンクリートで護岸するところに、無数の蛇籠を積んで用水路を造り上げました。いずれはアフガンの人たちだけで維持・管理ができるように、現地でも調達しやすい資材を使い、工法も簡単にしました。

 ときには、自らショベルカーを運転して工事の最前線に立ちました。とにかく、泥臭く、これが先生の働き方だったのです。