「皆さんから『大変ですね』という言葉をかけられるのですが、現地にいるほうが、心やすらかだ」とおっしゃっていました。「お日様と一緒に起きて、暗くなるまで汗を流して働くことで、今日も1日頑張ったなと幸せを実感できるのだ」と。
とはいえ、こういうお話も伺いました。3000mを超える山岳地帯を馬で移動中、鐙(あぶみ)に足が絡まったまま落馬して、宙吊りになったそうです。それでも馬は走り続ける。頭を引きずられて死んでしまうと思ったとき、「あ、これで楽になれる」と思われた。
この頃から、中村先生の活動を知って現地で働きたいという日本の若者が増えていきました。ところが、彼らは、「世界の趨勢は……」と頭でっかちな議論ばかりしたがるそうです。先生は、彼らの話を「ウン、ウン」と聞きつつ、まずはスコップを握らせて肉体労働をさせる。すると、彼らも次第に泥にまみれて仕事をすることの尊さを理解するそうです。
2007年にはアフガニスタン国内で最大の水量を誇るクナール川から水を引く用水路の1次工事が完了しました。水路が通って農地で作物がとれるようになると、どん底に生きていた何万人もの難民が帰ってきました。
家族揃って日に3度の食卓を囲み、平和であること。それが人々の願いです。子どもたちは用水路で水遊びをし、皮膚病が減ったといいます。用水池に住み着いた魚を揚げる店もできたと先生は嬉しそうでした。緑の大地計画はさらにひろがっていったのです。
本の最終のゲラで「30頁くらいカット」
わずか3回のインタビューで『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』を先生との共著で出したのは、印税を先生に送って活動を支援したいとの思いからでした。この本を売るべく、力を尽くして、初版から18版まで、4万部を超えたと思います。先生の逝去後は20版になりました。しかし、御夫妻はみずからのことを語らない方たちで、御家族に触れた部分は本の最終のゲラで、30頁くらいカットされました。
ある年、福岡のペシャワール会からどさっと荷物が届き、糖蜜(砂糖大根などの汁を煮つめた砂糖の最初の形)が送られてきました。先生のお気持ちだったと思います。苦しみながら水路を掘りすすめて、農地がよみがえり、こういうものさえできるようになったという、先生の「結果」報告と思いました。
※本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(澤地久枝「中村哲さんがアフガニスタンに遺した『道』」)。
記事全文(約7000字)では下記の内容を読むことができます。
・バブルの余韻がある時代に
・港湾労働者の世界に生まれて
・家族を連れてパキスタンへ
・まず、水がなければ
・「精神的支柱」を復興
・クラシック音楽と昆虫が癒やし
・「いっぺんは死ぬから」
・「後世への最大遺物」とは
【文藝春秋 目次】「消費税ゼロ」で日本は甦る<政策論文>山本太郎/<総力特集>2020年の「羅針盤」/わが友中曽根康弘 渡辺恒雄
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