「ユーモアあふれる語り口に加え、日本人の価値観、感性が体に沁み込んでいて、話す内容に奥深さを生む。粋な文化人でした。五輪などいろんな競技の中継に携わってきて、素晴らしい解説者はいましたが、あの方は群を抜いていた。あれほどの人は今後もう出てこないのではないでしょうか」

 長年、大相撲中継を担当した元NHKアナウンサーの刈屋富士雄氏(64)が切に故人を悼む。

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センスも素晴らしかった北の富士氏

 第52代横綱の北の富士氏(本名・竹沢勝昭)が死去した。享年82。現役時代、幕内優勝は10回を数え、引退後は九重親方として千代の富士、北勝海の2人の横綱を育てた。定年前に相撲協会を退職して以降は、NHK大相撲中継の名解説者として知られた角界のご意見番だった。

「相撲に関する造詣の深さだけでなく、確固たる美の価値基準があり、生き方や所作に表れていました。何が粋で何が美しいのか。たとえば、着物姿の女性を見かけると『あの大島紬はいいな』と、柄や着物の価値をさらりと口にする。()()(いつ)や和歌、川柳などを解説に取り入れるセンスも素晴らしかった」(同前)

現役時代は「現代っ子横綱」の異名も

「プレイボーイ横綱」「夜の帝王」の異名

 引き出しの多彩さは、豪快に飲み歩いた現役時代から培われていったもの。花柳界との付き合いや銀座通いは有名で、「プレイボーイ横綱」「夜の帝王」の異名もあった。相撲ジャーナリストの荒井太郎氏が語る。

「縁あって北の富士さんの著書の構成を担当したことがあり、よく食事に連れていっていただきました。神楽坂でお会いする時は芸者さんもご一緒でした。男女や職業を問わず全ての人に分け隔てなく優しかった。若い人も会うと好きになってしまう魅力がありました」

初代貴ノ花との後世に残る名勝負

 北海道出身。14歳だった1957年の初場所で初土俵を踏む。現役の頃は後世に残る名勝負をいくつも繰り広げてきた。

 元NHKアナウンサーの杉山邦博氏(94)は、横綱・北の富士と関脇・初代貴ノ花の“伝説の一番”を挙げる。対戦したのは1972年の初場所。

「あの一番は99%、北の富士さんが勝っていました。ところが、貴ノ花さんは異能の粘り腰でうっちゃる体勢をみせ、もつれた相撲になったんです」

伝説の一番。北の富士の右手が伸びる

 土俵の中央、北の富士が放った外掛けに、体勢を崩した貴ノ花は弓なりになって左へうっちゃりの投げを打つ。先に土俵についたのは北の富士の右手。立行司の木村庄之助は貴ノ花に軍配を上げるも、土俵下の審判から物言いがつく。

「先に土俵に手をつく“つき手”なら北の富士さんの負け、下になった貴ノ花さんが“死に体”で、自分の体が乗りかからないよういたわる“かばい手”なら北の富士さんの勝ち。協議の結果、あれは“かばい手”と判断され、軍配は覆って北の富士さんの勝ちとなりました」(同前)