『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞、『等伯』で直木賞を受賞し、ほかにも『信長燃ゆ』や『家康』など、名実ともに戦国歴史小説の第一人者である安部龍太郎さん。最新長編『銀嶺のかなた』は、加賀120万石の礎を築いた前田利家・利長の物語だ。
本作では「大航海時代」の視座に立ち、これまでの常識に囚われない歴史観で、信長がイエズス会と決裂した理由、本能寺の変後の秀吉の中国大返しの真相、さらに賤ケ岳で前田家の敵前逃亡がなかったことなどが、説得力をもって次々に描き出される。作者の安部さんは、新たに発見された戦国日本史をどのように描いたのか――。
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大航海時代の世界的視野から戦国時代を見つめて
安部 僕は戦国時代の小説を書くにあたって、従来の古い歴史観ではなくて、大航海時代を見据えた新しい価値観、新しい歴史観の流れの中で、信長と秀吉、あるいは利長と利家のような武将の動きを見たらどう見えるのか。背景にあるものをしっかり描いていくことを、ひとつ大きな心構えとしています。
たとえば、信長はイエズス会が奴隷として連れてきた黒人の弥助を、自分の家臣にしています。そうすると、イエズス会の宣教師たちがアフリカやインド、東南アジアでどんな搾取をしているのかを、彼からつぶさに聞いたんだと思うんですよ。そういう情報は、南蛮貿易をする過程でもいっぱい入ってきただろうし。イエズス会が言うことを、一面的に信用することはできないと、信長は徐々に考えるようになったと思います。
もっとも、当時はキリシタン大名もいましたし、その家中にも大勢のキリシタンがいる。堺や博多の商人たちも、大概、キリシタンになって貿易をしていますから、約30万人もの信者がいたと推定されています。こうした状況の中、宣教師のフロイスを追い出し、その教えには従えないと宣言してしまうと、織田政権は途端に不安定化したわけですね。
結果的には、明智光秀が本能寺で信長を討ち取ったわけですが、秀吉という男は作中で「超人」という言葉を用いましたけれど、信じられないくらい頭のよく回る人物で、おそらく側近だった黒田官兵衛を通じて、イエズス会の情報網から各大名家の動きを入手していた。そこで、前将軍の足利家や朝廷にも裏から手をまわして、光秀を操ったということも十分に考えられます。