調べてみたら外国には、月経用品に消費税の軽減税率をかけるところや無税にするところもあるらしい。月経用品は生活必需品、公衆トイレにトイレットペーパーを置くなら、いつ始まるかわからない月経にそなえて月経用品もトイレットペーパーなみに必置にせよ、それも無料にせよ、という要求がつぎつぎに出てくるようになった。
ううむ、月経期間中はひとにそれとさとられないようにふるまえ、目に触れないように月経用品を始末せよ、月経について口にするのははしたない……と思われていた時代に育った者には、ふか~い感慨がある。
月経についてこれだけオープンに話せるようになったのはよいことだが、たったひとつ不満がある。なぜ月経ということばがあるのに、生理と呼び替えるのだろう? 「生理」は人間の生理現象一般を指すことば。月経を「生理」と呼ぶのはあからさまに呼びたくないという忌避感の働いた婉曲語法だ。
月経は「月のもの」、月の満ち欠けに女のカラダが反応している命の証だ。人間が動物であるということ、そしてそれは産むカラダであるということを、女も男も自覚するためには、とてもよいことばだと思う。
初潮が来たとき。ンなこと言われたってオレ、女のカラダを持たないし、知らねえよ、と男性読者は感じるだろう。たしかに男性には月経の気分はけっして味わえないに違いない。だが、初めての精通でパンツを汚したとき。それだってどんな気分か、女にはけっしてわからない。
親に告げたのか、親はどんな顔をしたのか、汚れたパンツはどうやって処理したのか……。それからあとだって、射精ってどんな気分なのか、股にあんな異物がついていたら歩きにくくないのか、立ち小便ってどんなふうにするのか、女にはよくわからない。
知らないことはわからない、と言えばよい
男と女のカラダは違う。違うカラダを持っている者たちの経験は違う。それを秘して口にしないようにしてきた長い歴史のあとで、こんなにもあっけらかんと、あのね、あのときはこうなるのよ、と女たちがつぎつぎに口にし始めた。