「殺すぞ」父・柄本明が自分の顔面を殴りつけ…
父はいつもなら客席の端にいて、良ければそのまま観続けてくれるのだが、その日は開演して柄本が二言三言セリフを発しただけで、すでにいなくなっていた。柄本は、幕間の休憩でダメ出しだろうなあと思いながら、それでもなお芝居を続けていたが、パッと弟の向こうを見たら、舞台袖に父が立っていた。そこでちょうど弟に「いい眺めだなあ」というセリフがあり、父のほうを見ながら言わなくてはならなかった。すでに怒り顔だった父は、そのとき「殺すぞ」とつぶやいたと、あとで弟から聞かされた。
その後もいったん舞台袖にはけるたび、ダメ出しされ、ボクシングのセコンドみたいな様相を呈していたらしい。やっと一幕目が終わって15分の休憩に入ると、父は息子たちを殴るわけにはいかないので、代わりに自分の顔面を本気で殴りつけながら「ちゃんとやってくれよ」と言ってきて、柄本を震え上がらせたとか。
これは柄本がエッセイストの阿川佐和子との対談で明かしたエピソードだが、続けて《でもちゃんと具体的にもアドバイスしてくれるんですよ。直前に自分の顔殴っときながら。そこがなんか、クールなんです。まあ後からこうやって笑い話にできるからいいですけどね。うちの劇団員全員、親父についてそういう「柄本明伝説」をいっぱい持っています(笑)》と付け加えることも忘れなかった(『週刊文春』2023年11月16日号)。
「師匠なんで親父に『ダメだ』と言われたらゼロなんです」
柄本は別のところでもこのときの公演を振り返り、《お客さんやマスコミにどれだけ評価されようが、師匠なんで親父に『ダメだ』と言われたらゼロなんです。時生とは『怖いものがなきゃ、面白くならないよね』と。怖くもあり、安心感もあり……そうして親父が元気でいてくれるのは、ありがたいことですよ》と語っている(『女性自身』2021年2月16日号)。
よその舞台や映画・ドラマに出演したときも、父は《ダメだったときだけ、メールがきます。「あんな芝居やってんならやめな」とか「見たよ。もう慣れちゃったの?」とか》というから(「ダ・ヴィンチWeb」2022年7月23日配信)、これほど厳しい存在はない。親子の関係を知るにつけ、伝統芸能だけでなく、現代演劇の世界にも相伝というものはあるのかと思わせる。
父がそんなふうなので、兄弟で互いの演技についてあれこれ言うことはないらしい。そもそも柄本は自分の出演作を観るのと同じくらい家族の出ている作品を観るのも苦手だという。妻の安藤サクラとも、《不自然じゃない程度に、あの作品はおもしろかったよとか感想を言い合ったりはしますけど》そのぐらいだとか(「ダ・ヴィンチWeb」前掲)。

