役者デビューのきっかけは…
すでに小学3年か4年のときには、三隅研次監督の『座頭市物語』を観て、こんなかっこいい勝新太郎(主人公の座頭市役)を撮る映画監督って、きっともっとかっこいいんだろうなと思い、映画監督に憧れるようになっていたという。小学校の卒業文集にも将来の夢にそう書き、いま一番面白いものとしてフェデリコ・フェリーニ監督の『道』を挙げたというから早熟である。俳優デビューとなった映画『美しい夏キリシマ』(2003年)のオーディションでも『道』について話をしたところ、監督の黒木和雄に「親に吹き込まれて、大人びたことを言ってるのでは」と疑われたらしい。
ちなみにこのオーディションは、母親のマネージャーが持ってきた話だったが、本人の知らないうちに一次審査を通っており、面接を受ける段になってようやく両親から受けてみないかと切り出されたという。このとき、母の「行ったところでどうせ落ちるんだろうけど、あんた映画好きでしょ? オーディションに行ったら、生で監督に会えるよ」という一言が殺し文句となった。
母の予想に反してオーディションに合格し、生まれて初めて親元を離れ、地方の山奥でのロケに参加した。しかし、ホームシックになってしまい、自宅に毎晩泣きながら電話をするうち、東京乾電池の劇団員がひとり付き添いに来てくれてどうにか乗り切れたという。
それでも、大人だらけの現場に2ヵ月間も放り込まれ、自分も大人の一員になったという感覚が芽生えたらしい。撮影を終えて学校に戻ると、同級生がみんな子供に見えてしまい、映画の現場に一刻も早く戻りたいという気持ちが募る。そこで高校在学中、考えを巡らせ、《まず、監督はそうそうなれるもんじゃない、撮影、照明、録音は、技術を勉強しなきゃいけない。すぐやれるのはからだひとつで、もう既にやった役者で、それでもっとやりたいということを親父に相談しました》という(『キネマ旬報』2023年1月上・下旬号)。
高校卒業後は映画やドラマに出演しながら、早稲田大学芸術学校で演劇を学んだ。卒業を目前にして、いよいよ自分には「役者」という肩書しかなくなると戸惑いを覚える。父からは「役者は依頼がなければただの無職」とかねがね言われていただけに、焦りがあったようだ。それを乗り越えようと、ある挑戦を始める。
弟・柄本時生との二人芝居
《自分に必要なのは、足元のおぼつかなさをつなぎ留めてくれるもの、地盤のようなものなのではないか。それさえあれば新たな勇気につながるのではないか。そう考えて、同じ役者の道を歩みはじめていた弟・時生と、二人芝居の舞台を始めたのは2008年のことです》(『週刊現代』2018年3月10日号)
以来、時生とは、二人のイニシャルから「ET×2」というユニット名で公演を行ってきた。10年目となる2017年には父を演出に迎え、劇作家サミュエル・ベケットによる不条理演劇の代表作『ゴドーを待ちながら』を、地元である東京・下北沢の劇場「ザ・スズナリ」で上演した。このときの稽古の様子は『柄本家のゴドー』というドキュメンタリー映画に記録されている。映画は公演が幕を開けるところで終わるが、その楽日は柄本に言わせると“地獄”だったという。

