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 ただ、避難所などでは人手も食料も足りず、「決死隊で来てくれたボランティアに救われた」と多くの人が話していた。これをどう考えればいいのだろう。

 災害ではボランティアが不可欠な存在だ。核家族化や高齢化が進んだ地区だと、被災者が自力で片づけることさえ難しい。だが、ボランティアは参加する人の善意に拠っている。しかも、集まる人数は被害の深刻さではなく、メディアの報道量に比例するのが通常だ。復旧の歩みが遅い輪島市では、ボランティアの受け入れを行っている社会福祉協議会の担当者が「長期間来てほしい」と訴えている。遠隔地への避難者が多く、ニーズの掘り起こしが進まないのだ。なのにメディアの報道は減った。世の関心も薄れている。

 被災地への支援はどうあるべきか、「元年」から30年が経過して、ボランティアのあり方も見直す時期になっているのかもしれない。

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漁師町の路地(輪島市)

147人が認定された「関連死」という悲劇

 また、「能登」では災害関連死が多かった。圧死や焼死、水死など、地震による直接死は免れても、避難所の環境悪化などで亡くなる人が続出した。

 関連死の考え方が生まれたのは「阪神」だ。921人(全死者数6434人の14.3%)が認定された。石川県では24年9月17日時点で147人(同374人の39.3%)。既に3倍近い割合になっており、避難生活の過酷さが透けて見える。悲しいことながら、「阪神」でなされた問題提起は今もまだ解決されていない。

 被災地には目を背けたくなるような現実がある。「暗い話は聞きたくない」と耳をふさぐ人は多い。だが、知って備えなければ、いつかは降りかかる。「明日も他人事」が続くとは限らない。

◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2025年の論点100』に掲載されています。