少し息苦しく感じたが睡眠は十分にとれ、翌朝を迎えた。天気は相変わらず吹雪。通気口が埋まってまた酸欠になってはまずいと思い、外に出て除雪をする。立ち上がると、左脚に妙なコリを感じる。いまひとつ力が入らないような感覚があり、よろめいたりもした。やはり何かがおかしい。
その後は3月18日まで天気が回復することはなく、雪洞内に閉じ込められた。幸い、酸欠が再び起こることはなく、体調不良が再発することもなかった。
登山開始から52日目となる3月19日には天気がいくらかよくなってきたので、雪洞を出て行動を起こす。そして標高3660m地点まで進んだが、その後の行程と天候を考えると登頂は諦めざるを得ないと判断。24日に下山を始め、4月2日、麓のベースキャンプに下り着いた。
この登山でひとつだけ、栗秋はいつもと違うことをしていた
それにしても不可解な失神と不調はなんだったんだろうか。
下山して帰国した後、この経験したことのない不調が何に起因していたのか、いろいろ調べるにつれて栗秋は徐々に理解していった。
この登山でひとつだけ、栗秋はいつもと違うことをしていた。それは「高効率クッカー」の使用である。高効率クッカーとは、底面にヒダを設けることで熱の拡散を抑え、コンロの熱をロスなく伝える構造をした登山用鍋のこと。一般的な鍋よりも少ない燃料で早く湯を沸かすことができるため、登山の現場で人気を集めるようになっていた。
長期間山に入る栗秋にとって、携行する荷物は1グラムでも少なくしたい。燃料消費の少ないこの鍋ならば、これまでより少ない燃料で登山を完遂できるのではないか。そう考えて新たに導入したのだった。
ところが落とし穴があった。
高効率クッカーは、正しい使い方をしないと一酸化炭素が発生するというのだ。火元を覆うことで熱効率をよくしている構造上、適切に空気が送られないと不完全燃焼を起こしやすい。そのため、メーカーはコンロと鍋をセットで設計して不完全燃焼が起こらない工夫をしているのだが、高効率クッカーの使用を想定していないコンロと組み合わせて使うと、一酸化炭素中毒のおそれが高まってしまう。
栗秋はまさにこの組み合わせで使っていた。別の登山家がまったく同じコンロと鍋の組み合わせで、一酸化炭素中毒を起こしていたことも登山後に知った。