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 高効率クッカーは登山だけで使われているわけではない。構造こそさまざまであるものの、同じ狙いをもって作られた家庭用の鍋やフライパンもあり、2015年には行政法人の製品評価技術基盤機構(NITE)が警告を発している。それによると、一般的な鍋と比べて数十倍の一酸化炭素が発生し、死亡事故も起こっているという。

 今でこそ理解が進んでいる部分もあるが、2014年の時点ではこのことはあまり知られていなかった。栗秋は反省した。自分の体に何が起こったのか、正確に証明することはできないが、さまざまな症状と状況からして、一酸化炭素中毒だった可能性が高いのだろう。

雪の斜面を掘って作った雪洞。1日吹雪いただけで入口は埋まってしまう(栗秋正寿撮影)

 娘の蒼子が「お父さん、死んだ」と言ったということにも不思議な運命を感じた。2年前の2012年にも、同じハンターに登っていたとき、蒼子が「やまのぼり終わったよ」と突然言い出したことがあったという。栗秋は帰国後に話を聞き、日誌を見返したところ、まさにその日が下山を決意した日だったのだ。

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アラスカの万年雪に埋もれて永遠に発見されず、すべてが謎に

「目を覚ますことができて本当によかった」と栗秋は振り返る。なぜ意識を取り戻すことができたのかはわからない。燃料切れでコンロの火が消えたのが幸いしたのか、あるいはすきま風が吹き込んでいたのか。いずれにしろたまたまの幸運でしかないと思う。

 もし、あのとき目を覚ますことがなかったら。

 雪面にテントを張っていたのであれば、捜索の飛行機に発見される可能性もあるが、栗秋がいたのは雪の下に掘った空間。上空からは発見できない。通りかかった登山者に発見される可能性も限りなくゼロに近い。なにしろ誰もが避ける冬のアラスカ。次に登山者がハンターに来る可能性があるのは早くても数カ月後だ。

冬の間、ハンターを登る人は栗秋以外にはいない(栗秋正寿撮影)

 そのときまでには新しく降った雪に覆われて、栗秋がいた痕跡はきれいになくなっているだろう。栗秋の体はアラスカの万年雪に埋もれて永遠に発見されることはなく、何が起こったのかも謎のままだったはずである。

 そしてこれは冬のアラスカという特殊空間特有の現象ではなく、高効率クッカーだけで起こることでもない。日本国内でも、登山やキャンプでの一酸化炭素中毒死は数年に一度は起こっている。

 冬のアラスカに20年通い続けて生還し続けてきた栗秋でも、わずか1回のミスで命を落としかけた。自分の体験が少しでも教訓になってくれれば。栗秋はそう願っている。