「石の声を聴け」とは?
私は中学卒業後、粟田建設の会長を務めていた祖父に弟子入りしました。祖父は明治生まれで出征経験もあり、鬼のように厳しかった。家の中では優しいのですが、ひとたび現場に入ると、名前では呼んでもらえず、「コラ、ボケ、カス」と怒鳴られるのは日常茶飯事。少しでも気に入らないことがあれば殴られ、石を投げつけられたこともありました。
ただ、祖父は、先祖代々大切にしてきた教えも授けてくれました。それが「石の声を聴け」です。自然石は何も考えずに積むとガタガタしますが、ずれることなくピッタリとはまる瞬間があります。その時、「あ、この石はここに置いてほしかったのか」と感じる。目の前の“石の声”に耳を澄ませ、どこに置けば、堅固な石垣ができるのかを考え抜いて積む。祖父はその穴太衆の極意を叩き込んでくれました。
石垣作りの最初の仕事は石選びです。石の集積場に行き、大量の石の周りを歩き、一つひとつの石を記憶していく。そして、“石の声”を聴きながら、頭の中で石垣全体の設計図を入念に描いた上で石積みに着手します。石選びがうまくいけば、仕事の7、8割は終わったようなもの。最も重要な工程ですから、1日、2日かけて集積場をぐるぐると歩き回ることもあります。
穴太衆積では、仮に100個の石が現場にあれば、100個全てを使って石垣を積むことが理想とされます。ただ、現実的には上手くはまらず、余る石が出てきます。ところが、祖父はほとんど石を残さずに積んでしまう。それだけ“石の声”が聴けていたのでしょう。祖父は大津市の無形文化財に指定され、後を継いだ父も国の卓越した技能者(現代の名工)に認定されました。でも、あえて比較すると、父よりも祖父の方が“石の声”を聴く能力に長けていたと思います。
※本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「伝統の職人 穴太衆 熊本城の石垣はなぜ崩れたか」)。
全文では、粟田家を含めた穴太衆の歴史的変遷、竹田城や洲本城の修復作業、熊本城の修復で得られた教訓、石垣の“逆輸入”に向けた取り組みなどについて語られています。
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