いよいよ今年も戦いが始まる。第101回東京箱根間往復大学駅伝競走――通称・箱根駅伝だ。

 中継を担うのは、日本テレビ。以前は「不可能」とさえ言われた箱根の山での中継、レースを十二分に伝えるための事前取材……テレビの向こうで待つ視聴者に向け、1000人ものスタッフが毎年動員されるという。

 1998年の日本テレビ入社以来、野球、プロレス、サッカー、ゴルフ、バスケットボール、バレーボール、ラグビー、NFL、MotoGP、マラソンなど、さまざまなスポーツ中継に携わってきた日本テレビアナウンサー・町田浩徳さんは、多くの歴史的瞬間を目撃してきたなかでも、「箱根駅伝」はやはり特別だという。

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 「箱根駅伝」の裏側で進行するテレビマンたちの戦いを、町田アナウンサーに聞いた。(全2回の2回目 初出:2024年11月16日)

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中継に初めて導入された「バイク」から実況

――いよいよ箱根駅伝の大会本番となると、実際の中継では想像もしなかったいろいろなハプニングなど起こりますよね。

町田 私は小涌園前での実況を経て、入社5年目のときに箱根駅伝(2003年)の中継に初めて導入された「バイク」に乗ることになりました。いわゆる中継車が1号車、2号車、3号車とあって、いわばバイクは4番目の位置にいるわけです。機動力を生かし、シード権争いや、タスキがつながるかどうか、という選手の頑張りを伝えることになるわけですから、入社5年目の自分が務められるのか不安になりました。

 先輩からは「町田はバイクの運転免許を持っているし、MotoGP(世界最高峰のバイクレース)の中継も担当しているからいけるだろう」と、冗談交じりに励まされました。バイクが他の四輪の中継車と違うのは、実況資料を置くスペースがどこにも無い上、サブアナウンサー(実況アナの横で実況をサポートするアナウンサー)やディレクターが横にいないということ。

 実況資料に関しては雨よけのハードクリアファイルに入れて、そこに穴を開けて伸縮性のあるヒモで自分が着ていた防寒具と結び、バイクから落とさない工夫をしました。運転手さんの背中にはホワイトボードをくくりつけて、必要なことをメモできるようにもしました。

 そのほか、あの環境下では比較的広いスペースだった両方の太ももの上に「区間新記録が出るときのペース配分」や「この大学がシードを獲ったら何年ぶり何度目になるか」などのデータ資料を貼り付け、首には自分でタイムを計測するためのストップウォッチを7~8個ぶら下げて……。大人用の紙オムツをすることも勧められましたが、どうしても集中できない気がしたので着用しませんでした。その代わりに、前夜9時以降は水分をとらず、当日の朝も、お茶でうがいをして口の中を湿らす程度で臨みました。

 

 今はずいぶん中継用のバイクもハイテク化が進んで、通過順位やペースなどのデータが表示されるモニターもありますし、資料を入れるスペースもできて環境が整っています。でも当時は何もかもが手探りで「パイオニア(先駆者)としてよくやったね」と言われると、ふつうは謙遜するところなんですけれど、「いや、本当にそうなんですよ」っていつも言っています(笑)。

 実況で印象に残っているのは、2012年の第88回大会、復路の鶴見中継所でのタスキリレーですね。神奈川大学が何とか繰り上げスタートにならずに済むと思っていたら、中継所の直前で何と繰り上げまで残り10秒で転倒、立ち上がるも更に中継所の手前10mで2度目の転倒。残り5秒、4秒、3秒・・・しかし執念で、繰り上げまで残り0秒でタスキを繋いだシーンです。20キロ以上走ってきて、まさかこんなことが中継所の直前、私の目の前で起こるとは……。今でも忘れられないシーンです。