医療ジャーナリストの長田昭二氏(59)は「余命半年」の宣告を受けながら執筆活動を続けている。今回は、家の整理や墓の手配などの「終活」について綴った。

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部屋を掃除に来てくれた叔母

 左肩甲骨へのがんの転移によって左腕の動きが鈍っており、家事にも影響が出始めている。一番つらいのは洗濯物を干す作業なのだが、じつは掃除もつらくなっている。どうしても左腕をかばい、なるべく動かさないようにして掃除をするので「いい加減」になってしまう。その結果、部屋は片付かなくなり、掃除も行き届かなくなり、次第に散乱状態と言っても過言ではない状態になりつつあった。

 従妹(姉)との会談でそんなことを口走ったら、「片付けに行くよ!」と言ってくれた。

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 そして叔母さんも「私も行く!」ということになり、12月12日、二人は四谷三丁目のわが家まで来てくれた。

冨士霊園内にある「文學者の墓」で手を合わせる筆者 ©文藝春秋

 最低限の掃除しかできなくなって2年ほどが経つ。部屋の中の汚れや乱れは中々のもので、親戚とはいえこの惨状を見せるのは恥ずかしいところだが、背に腹は代えられない。二人を部屋に入れて

「こんな具合です」

 と言うと、二人は涼しい顔で

「わかった。あんたは仕事部屋で仕事していていいよ」

 ということになり、大掃除が始まった。

 とりあえずこの日は

「リビングと台所だけでいいから」

 と言って、僕は仕事部屋に引っ込んだ。

 そして3時間後、仕事部屋から出てきて驚いた。女性が二人がかりで清掃すると、こうも片付き、キレイになるものなのか……。

 意味はないけれど深呼吸をしてみたりする。

 フローリングの汚れは簡単には落ちないので、敷物で隠したほうがいい――ということになり、3人で新宿のニトリに出かけ、適当なラグを選んでもらった。

 部屋をきれいにしてもらったお礼に、少しだけ高級な中華料理店で夕食をご馳走した。

 叔母さんはいつもと同じような調子で話し、料理を食べては「おいしいね」と言い、時々笑顔も見せていた。少なくとも僕の前で泣くことはなかったので、僕は本当に救われた思いだった。すべては間に入って調整してくれた従妹たちのおかげだ。

 叔母さんは、僕が元気なうちに一緒に旅行に行きたいという。そこで従妹たちが調整し、12月22日から一泊で、叔母さん夫婦、従妹たちの家族に僕を加えた総勢9人で、安房鴨川に行くことになった。

 ところが直前になって従妹(姉)がインフルエンザに感染した。何とか時間的に間に合いそうなので、彼女と僕はマスクをしての参加を覚悟していたのだが、出発前日になって、今度は肝腎の叔母さんの感染が判明した。前日なのでもう間に合わない。

 言い出しっぺにして一番楽しみにしていた叔母さんが不参加となったのだ。

 僕も残念だが、叔母さんの無念はいかばかりか。

 でも大丈夫。僕はまだもうしばらくは元気で過ごせそうなので、あらためてどこかに行きましょう。なのでまた、時々掃除しに来てください。