自分の墓参りをしてみた
叔母さんたちが掃除に来てくれた翌日の12月13日金曜日、僕は東海道新幹線こだま号に乗っていた。向かうは三島駅。
この本の中でも、あるいはこの連載でも過去に触れているが、僕が加入している日本文藝家協会では静岡県駿東郡小山町の冨士霊園内に「文學者の墓」を所有しており、会員は申請すると合祀してもらえる。僕もそうしてもらうつもりなので事前にお墓参りをしておきたかったのだ。そこで担当編集者を誘って出かけてきた。
いきなりお墓に向かうのも何なので、途中割烹料理店でうなぎを食べてから向かうことにした。お墓参りには体力が必要だ。ならば何といってもうなぎだろう。昔からお墓参りや法事にはうなぎが付き物だ。
うなぎはとても美味しかった。そこからレンタカーで御殿場を経て霊園に向かうのだが、それまで明るかった空がどんよりしてきた。天気予報は「晴のち雨」となっている。
それでも雨が降る前に霊園につき、売店でお花を買って「文學者の墓」に向かう。
山の斜面に広がる冨士霊園の、さらに急峻な斜面にそれはあった。
車を停めるべき場所を誤った僕は、本来より長く坂道を上ることになり、立派な碑の前に辿り着くころには息切れで呼吸困難になりかけていた。
それでも落ち着いて眺めると、中核となるモニュメントを中心に数多の墓名碑が点在し、それぞれには
「おや、この先生も!」
「まあ、あの先生も!」
と驚く著名な文豪たちの名前が刻まれている。
「うーむ。こんな立派な先生方と同じお墓に入れていただいて、はたして仲良くやって行けるかな?」
と担当編集者に訊ねると、
「まあ、何とかなるんじゃないですか」
と、興味なさげに答えてくれた。
「僕がここに入ったら時々お墓参りに来てくれる?」
「それはちょっと……(苦笑)」
僕、死ぬのやめて長生きしようかな……。
※長田昭二氏の本記事全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。全文においては、主治医から提案された治療法、長引いている「あごの痛み」の正体、叔母への余命告白、父親からの突然の連絡などについて語られています。
■連載「僕の前立腺がんレポート」
第1回「医療ジャーナリストのがん闘病記」
第2回「がん転移を告知されて一番大変なのは『誰に伝え、誰に隠すか』だった」
第3回「抗がん剤を『休薬』したら筆者の身体に何が起きたか?」
第4回「“がん抑制遺伝子”が欠損したレアケースと判明…『転院』『治験』を受け入れるべきなのか」
第5回「抗がん剤は『演奏会が終るまで待ってほしい』 全身の骨に多発転移しても担当医に懇願した理由」
第6回「ホルモン治療の副作用で変化した「腋毛・乳房・陰部」のリアル」
第7回「恐い。吐き気は嫌だ……いよいよ始まった抗がん剤の『想定外の驚き』」
第8回「痛くも熱くもない〈放射線治療〉のリアル 照射台には僕の体の形に合わせて…」
第9回「手術、抗がん剤、放射線治療で年間医療費114万2725円! その結果、腫瘍マーカーは好転した」
第10回「『薬が効かなくなってきたようです』その結果は香港帰りの僕を想像以上に落胆させた」
第11回「『ひげが抜け、あとから眉毛とまつ毛が…』抗がん剤で失っていく“顔の毛”をどう補うか」
第12回「『僕にとって最後の薬』抗がん剤カバジタキセルが品不足! 製造元を直撃すると……」
第13回「『体が鉛のように重くなる』がん患者の“だるさ”は、なぜ他人に伝わらないか?」
第14回「がん細胞を“敵”として駆逐するか、“共存”を目指すべきか?〈化学療法、放射線治療、仕事…日常のリアル〉」
第15回「ステージ4の医療ジャーナリストが『在宅緩和ケア』取材で“深く安堵”した理由」
第16回「めまい発作中も『余命半年でやりたいこと』をリストアップしたら楽しくなった マネープラン、自分の入るお墓参り、思い出の街探訪…」
第17回「〈再び上昇した腫瘍マーカー〉「ただのかぜ」と戦う体力が残っていない僕は「遺言」の準備をはじめた」
第18回「『余命半年』の宣告を受けた日、不思議なくらい精神状態は落ち着いていた」
第19回「余命宣告後に振り込まれた大金900万…生前給付金『リビングニーズ』とは何か?」