今年1月14日に作家の三島由紀夫(享年45)が生誕100周年を迎えた。ノーベル文学賞候補とされながらも、自衛隊市谷駐屯地に立てこもり割腹自殺した三島。その最期を見届けた隊員の家族が知られざる逸話を明かした。

三島の割腹を見届けたもう一人の人物

 昭和45年、11月25日。三島由紀夫が「楯の会」メンバー4人と共に、陸上自衛隊東部方面隊の益田兼利総監(当時57)を人質に取り、自衛隊員にクーデターを呼び掛けた、通称「三島事件」。

三島由紀夫 ©文藝春秋

 これまで三島の割腹を見届けたのは、益田総監と楯の会の3人とされてきたが、実はもう一人、事件の一部始終を知る者がいた。市谷駐屯地の「業務室」に勤務し益田総監の秘書的な役割を果たしていた、磯邊順藏二曹(86、当時31)だ。

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「主人は三島さんからわずか3メートルのところで、割腹を見届けていました。三島さんのお腹の傷は深く、腸がかんなで引いた木くずのように波打ち、次から次へと飛び出したそうです」

総監室の応接セットに座る益田総監(奥)。ここが事件現場となった

「本を書きたいと、章立てまで考えていたのですが……」

 そう語るのは、順藏さんの妻、眞知子さん(75)。順藏さんは4年前に脳梗塞に倒れ、現在は介護老人保健施設で過ごしている。

「倒れる前、主人はこれまでに集めてきた三島事件の資料の整理を始めました。事件から50年以上の年月が経ち、事件を知る人が少なくなる中で、自分が見たものを後世に伝えなくてはという思いが芽生えたそうです。最終的には本を書きたいと、章立てまで考えていたのですが……」

偵察隊時代の順藏さん

 夫の意志を引き継ぐために眞知子さんが順藏さんの残した段ボール箱の中を覗くと、そこには事件に関する自衛隊の内部資料や、三島のものと思しき血飛沫のついた現場の物品など、貴重な資料があった。中でも目を引くのは、昨年5月、『FRIDAYデジタル』上に公開された順藏さんの日記だ。