『幽玄F』(佐藤究 著)河出書房新社

 正直に白状すれば、戦々恐々としていた。
 派手に仕損じるか、何やら途轍(とてつ)もない作品が生まれてしまうか、そのいずれかではないかと。

 佐藤究が三島由紀夫を題材に書くというのはかねてから仄聞(そくぶん)していた(三島の亡霊を斬ってほしいと編集者に頼まれたらしい。なにその注文(オーダー)!)。経験上、オマージュが本家を超えることはまずないし、なにより相手が悪すぎる。この国の文芸の世界でいえば三島は崇徳(すとく)天皇や平将門(たいらのまさかど)なみの大怨霊ではないか? 純文学出身というキャリアや、ある種の魔的な才能という共通項はあっても、勝ち目のない無謀な試みにすぎると思った。下手をすれば、あえなく撃ち落される。

 だがページを繰りだすとのめりこんで一息に読んでしまった。物心つくころから空と飛行機に憑(つ)かれ、長じて航空自衛隊のエースパイロットとなる主人公・易永透(やすながとおる)の生涯が、高高度に達した戦闘機における超音速のG(重力加速度)を軸に描かれる。読みながらサン=テグジュペリの『夜間飛行』やコッポラの『地獄の黙示録』を想起したが、物語は予想のつかない方向にドライブしていくので片時も予断を許さない。

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 三島ファクターでいえば主人公の名が通じる『豊饒の海 第四巻 天人五衰』よりも『金閣寺』からの換骨奪胎がうかがえる。かの作品における自走自壊型の主人公のほとんど機械化されたような欲望、偏執的な飢渇(きかつ)、戦後社会に対するニヒリズムや不全感などを通奏低音にして、『幽玄F』もまた観念を追いながら非観念の世界に飛び出していこうとする。華麗なレトリックが駆使された大伽藍(だいがらん)のような『金閣寺』の文体に対し、本作はそれこそ流線形の戦闘機のように極度に削ぎ落とされたストイックな文章を用いて、現実世界の彼岸(ひがん)でしか生きられない一人の天才を、超越性を帯びた人間存在を描くことに成功している。おそらく現代最高の切れ味鋭い文章がスパスパッと筋を裁断し、章や段落ごとに他では味わえない後味や余韻、面影や余情といったものを体感させる。これほど饒舌(じょうぜつ)さのない主人公なのに物語全体が抒情詩(じょじょうし)さながらの感触を帯びるほどに。そこには作中でも引かれる心敬(しんけい)の言葉が反響している。

〈ふるまひをやさしく。幽玄に心をとめよ。〉

 並外れたエンタメ小説の書き手でありながら、詩や哲学の人でもある作者の方法論を表わす言霊(ことだま)にも思えた。腹にこたえるタフな小説だ。そこには頸(つよ)く熱い物語の動脈が脈打ち、現実の社会をも照射することで円環(えんかん)をなす。最後に小説がどんな地平に達するかはその目で確かめてもらうしかないが、畏怖すべき亡霊に憑き殺されず、撃ち落されもせず、表現を切り詰めたゆえに達した境地で極限における人間の本質を探る作者は、今なお文芸の空でたぐいまれな曲芸飛行を験(ため)しつづけている。

さとうきわむ/1977年福岡県生まれ。2016年『QJKJQ』で江戸川乱歩賞を受賞。18年『Ank: a mirroring ape』で大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞を、21年『テスカトリポカ』で山本周五郎賞、直木賞を受賞。
 

しんどうじゅんじょう/1977年東京都生まれ。2008年『地図男』でデビュー。18年刊行の『宝島』で山田風太郎賞、直木賞を受賞。